このページは、当茨城弁集の読者の方々からいただいた最近の主な投稿文を掲載しました。一部掲示板コーナーと重複しています。読者のプライバシー保護のためお名前は伏せてありますのでご了承下さい。
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◆へめ2005.2.15
うちのおばちゃんはハエのことをへめと言っていました。
「きしょ(このやろう)このへめ(ハエめ?)つかまんね!(つかまらない)」
今でゆうキッチンは「おかって」とか「かしき」といいます。友達のおじいちゃんは悪ガキを「いし」といい、うちのおばちゃんはわたしを「じょんこ」(おりこうさん)と呼びます。
→返信
『はえ』を『へえめ』と言いますね。それが『へめ』に聞こえたのだろうと思います。キッチンを茨城では『おかって』、『かしき』というのは自然な呼び方です。悪ガキを『いし』というのは新しい時代の方言かもしれません。
『じょんこ』は、古くからの茨城弁です。
今後も新しい情報がありましたら教えて下さい。
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◆爆笑しました(掲示板から転記)2005.5.12
たまたまこちらのサイトを発見しまして、仕事中にもかかわらず大爆笑しながら読んでしまいました。祖父母や伯父、伯母が使っていた様子が脳裏に浮かんできて、余計に笑えました。こんなに笑ったのは久々です。
掲載してらっしゃる言葉があまりにも多く、すべてを読もうとすると恐ろしいくらい時間がかかりそうですが、毎日少しずつ気長に読ませていただきます。
あー、頬の筋肉が痛い…。
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◆労作に感激しました2005.7.19
「昔の茨城弁集」拝読しています。大変な分量なので何日もかけて読んでいます。これほどの数多くの言葉の収録と、筆記のご努力に敬服いたします。
私は八郷町に生まれ育った者ですから、土浦市郊外の方言とほとんど変わらぬ親しみを感じます。(現在67歳)。
私の地方にも「ジムグリ」という蛇がいます。以前、私はこれは「ジモグリ」の訛音方言だと思っていました。ところが「ジムグリ」が正式名称であることに気づきました。辞書や図鑑で調べた結果です。この地方の方言音がそのまま蛇の名称になったものと思われます。
→返信
ジムグリ情報ありがとうございました。添付いただいた随筆は興味深く読ませていただきました。また茨城の独特の文化を感じさせていただきました。最近は投稿に期待しているのですが、年に数件あるのみで、今回は本当に貴重な情報なので早速『迷信』欄に掲載したいと思っています。また文中のいくつかの単語を転載させていただきたいと思います。
ところで、『潜る』を『むぐる』と発音するのは、私も今まで訛だと思っておりました。そこでこれを機会に調べて見ましたところ、江戸時代、魯文の書いた西洋道中膝栗毛に『むぐる』という表現があるようです。広辞林にも標準語として掲載されていました。見落としていました。古い標準語が蛇の名称として残り、さらに茨城弁に残った図式です。勿論、現在の標準語世界で『むぐる』と発音する人はいませんが、このような古い言葉が茨城弁に沢山残っていることだけは確かです。
また、最近とみの思うのは、茨城弁特有の濁音を除くと、少なくとも名詞・動詞・副詞・形容詞等の主要単語で方言を比較すると、東北エリアは別にして、標準語だけが異端で、栃木・群馬・埼玉・千葉あたりはそれほど大きな差異が無いことを感じています。山梨や新潟もかなり似ています。ところが、文章になるとまるで異なった言葉に聞こえる理由は、助詞の使い方にあると気が付きました。最近は、助詞に重点を置き整備しているところです。
ところで、八郷町は私が土浦に住んでいた頃、良く自転車で遊びに行きました。私は、幼い頃から山に憧れたせいか、山里にもことさらに思いがあり、今でも帰省の際には、時々八郷に遊びに行きます。フラワーパークに行ったり、虹鱒釣りをしたり、手打ちソバを食べたりしています。確か前回のNHKの大河ドラマのロケ地にもなったと聞きます。また、今は芸術家達がこぞって住まう町になったそうで、良い時代になったものだと思います。
今後も情報がありましたら、是非お知らせください。
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◆拝見致しました(掲示板から転記)2005.7.22
初めまして。私は、土浦ではありませんが県南に住む20代です。実は、検索サイトで茨城弁を入力して遊んでいたらたまたまこのサイトにたどり着いてしまいました。とても興味深く、時間を忘れて読ませて頂きました。一つ一つの丁寧な考察、身近で「あーこの会話あるある!」という用例、どれをとっても一級品です!!ところで、うちの方ではムクドリのことを「ぎーぎーめ」と言うのですが、聞いたことはありませんか?
→返信
投稿ありがとうございます。動植物に関する方言は県単位どころか自治体の中でも異なることが多いようで、土浦では『ぎーぎーめ』を聞いた記憶はありません。『きーきーめ』ならモズを指して言った記憶はあります。県南部とのことなので、明記した上で掲載したいと思います。
ところで、以前は、ムクドリの渡りの時は空の一角が真っ黒になるほど大きな群れを作って飛んで行く様子が見られましたが、今でもそうでしょうか。
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◆はじめまして(掲示板から転記)2005.9.6
はじめまして。茨城県の出身で今は東京に住んでいます。趣味で童話を書いていまして、現在創作中の昔話の会話にも茨城弁を使っています。(分りやすいように、だっぺと濁音ぐらいですが)祖母や両親の言葉を思い出しながら書いていたのですが、ネットでも確認しておこうと検索したところ貴サイトにたどりつきました。日常会話のコーナーの宮沢賢治『雨ニモマケズ』は素晴らしく涙が出そうになりました。他の言葉も懐かしく心が温かくなりました。これだけの文献を作るのは大変だったと思います。これからもがんばってください。
→返信 ありがとうございます。このサイトは労力よりも時(25年)が成したものだと思っています。最初の頃は、当の茨城弁を前に記録しましたが、今は殆どが思い出し作業によっています。現地でもすでに昔の茨城弁は忘れ去られています。思い出し作業の際面白いのは、父母ばかりでなく祖父母の姿とともに言葉が流れて来ます。本当に不思議です。
何か新しい情報がありましたらお知らせください。
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◆懐かしいです(掲示板から転記)2005.10.31
両親が、土浦出身です。今でも伯母はじめ親戚がたくさん土浦市に住んでいます。私は東京生まれなのですが、両親の影響で、少々イントネーションが違うようで、よく「なまってない?」と聞かれました。
大人になるまで「いじがやける」というのは標準語だと思って使っていましたが、主人が「何それ?」と聞かれるまで気づかずにいました(^^;;)。とても懐かしく見ていました。私は茨城弁大好きです。
→返信
茨城大好き!いい言葉ですね。
一口に茨城と言っても様々ですが、私にとっての土浦はふるさとそのものです。最近は主としてお笑いの世界で茨城弁は関東にありながら異端に聞こえるのか、随分人気が高まっています。
「いじが焼ける」は確かに今では茨城弁特有の言葉ですが、表現としては谷川俊太郎が使っても良いほどの詩情あふれる素晴らしい訛です。永く残しておきたいですね。
もし、親戚筋の方にお会いした時に、新たな訛の情報がありましたら、是非お知らせください。
茨城弁の奥の深さは、調べれば調べるほど驚嘆するばかりです。
また、東京のどちらにお住まいかわかりませんが、東京にも沢山の方言があります。これはというようなものがありましたら是非お知らせください。
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◆ホームページを見せて頂きました。2005.11.29
素晴らしく充実した内容で楽しかったです。 ちょっとおうかがいしたいのですが、以前に土浦市田村町で[ノーパンのこと]を「ふるま」と言っている人がいたのですが、聞いたことはありますか?
→返信
茨城弁の隠語に関するものは、可能な限り控えたホームページで申し訳ありません。『ふるま』とは、男の『ふりちん』『ふるちん』と同じように、女性に関しての裸の意味で『ふりまん』もしくは『ふるまん』と呼んでいるものだと思います(あまりメジャーではありません)。ただし、もともと『ふりまら』(素っ裸)という訛がありので、その流れの可能性もあると思います。
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◆浜通とちんと似ている方言も有りましたので、興味深く拝見しました。(掲示板から転記)2005.12.28
せっかくの投稿ですので、いい(実家)の方のしゃべりがだを思い出しながらさせてくんちぇ(下さい)俺はー 福島県双葉郡楢葉町(旧竜田村、JR常磐線に竜田駅て言うのは今だって有っと)に昭和22年に生まれで相馬郡の工業高校さ出でがら東京さ行ったんだ、10年ばっかし東京さいたどぎは、「い」と「え」が逆で恥けいだど、相馬のヤロメラと違うがら訛りはちんと(少し)しかしねえけんちょ、いとえは今でも駄目なんだ。30年に会社(工場)の移転で石岡に来たっぺ(現在も市内在住)ほしたら ぺっぺは一緒だけんちょ1/3ぐれえ(くらい)は、わがんねぇーしゃべりがだだもんな。いいの方にも語源がオランダ語ではねいがちゅーような方言があんだ それはー、火傷を「かんかじ」て言うんだ。今はラジオやテレビみでえな放送がハッタヅしたがらーちんちぇ(子供又は自分より年下)ヤロメラもあんまりしゃべんねけちょも、40歳がら上だったら知ってる筈だ。ぶっきらぼーで悪えけんちょも語源でもわがったら 知らしてくんちぇ
→返信
投稿有難うございます。昭和22年のお生まれとのことですから、私の兄と同年齢ですね。茨城と福島はかなり共通語がありますね。助詞等を含め間違いなく同じ訛の文化圏にあると思っています。確かに、茨城や福島では『い』と『え』の識別が難しいですね。
ところで、『かんかじ』は聞いたことがありません。念のためネットで調べると、福島特有の訛のようです。土浦では、火傷のことを『やぎど、やげぽっぽ』と言い、火傷ののあとのケロイドを『やけっぱだ・やげっぱだ・やげばだ・やげつり』等と呼んでいます。
さて、問題の『かんかじ』ですが、福島と茨城の訛はかなり似ていますから、そのあたりから推測してみたいと思っています。火に関わる言葉に『かんかん』(副詞)があったを思い出しました。炭火などが勢い良く燃える様を表しています。そこで@『かんかんと火で焼けた場所』の意味の『かんかんじょ』(かんかん処)の意味が『かんかじ』になった、A『皮の火事』の意味が転じて『かんかじ』になった等を考えました。茨城弁流なら『かーっかじ』でしょうか。ただ、これは、あくまでも推測なので、ご容赦下さい。
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◆言葉の違いを教えて。(掲示板から転記)2006年1月22日(日)
私は今言葉の違いを勉強してます。昔、50年ほど前は、今と違う言葉はあったのですか??
→返信 1月26日
50年前の言葉と今の言葉の違いを、茨城弁に限らず具体的に列挙するとなると大変な時間がかかると思いますが、私が個人的に感じていることを挙げれば次のようになります。
まず、抑揚が随分変わりました。NHKの番組等でたまに放送される昔の番組を見ると明らかに抑揚が違っています。
今よりややイントネーションが平板です。戦前、戦後の古い映画を見て下さい。小津安二郎の映画などを注意深く聞いてみると面白いと思います。今では使わなくなった表現が沢山あるのに気が付きます。
また、次第に使われなくなってきている言葉が沢山あります。それらは、この茨城弁集にも沢山掲載しています。聞かなくなった言葉の多くは和語で、逆に次第に漢語を使う傾向が多くなってきています。
茨城弁でも同じ現象があり、茨城弁らしさがどんどん薄くなりつつあります。
どちらにお住まいかが解りませんので、何とも言えませんが、例えば標準語圏でも高齢者の中には、トイレのことを『手水場』(ちょうずば)『灌所・閑所』(かんじょ)と言う人がいるはずです。茨城弁でも訛って『ちょつぱ』『ちょーつぱ』などと言っていましたが、今ではまず使う人はいません。
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◆境目について。 (掲示板から転記)2006年 2月24日
茨城弁と一口で言うがその場所によって方言が微妙に違うらしい・・・どこからかわかりますか?今国語の勉強してるのでよかったらいろいろおしえて下さい。
→返信 茨城弁の境目はありません。2月25日
おっしゃる通り茨城県内の方言は、地域によって微妙に異なります。ただし、今や標準語が浸透してその識別すらできなくなってきました。
さて、茨城県下の方言の境目がどこにあるかを見い出すことは不可能でしょう。仮に一つの言葉をターゲットに調査をしても、境目を探すのは困難だと思います。これは当たり前のことで、ある境界を境に使ってる言葉が違うなどということはあり得ないからです。
ただし、傾向は見出せます。例えば、水戸より北の地域は最も古い言葉が残り、福島県との関係が深い地域です。猿島郡を中心とした県西部は、栃木や埼玉との関係が深い一方、訛りが大きい傾向があります。南東部の鹿行地域も独特の訛りがある地域です。海に面していることも大きな要因と思います。その中で土浦を中心とした地域は、東京に近いためか、今や死語となった比較的新しい標準語が良く残っています。また、『ぺ』の発祥地域と考えられ、文化的な中心地域として位置付けられると思っています。茨城弁の原型が土浦近辺からその他地域に伝わり、さらに訛っていった様子が伺えるからです。土浦より南の県南部は千葉との関係が密接な地域です。
最近、明治時代後期に発刊された『茨城方言集覧』を紹介する作業を開始しました。まだ、未完成ですが、明治後期の茨城方言が、茨城県相にどのように分布していたかが不十分ながら解る文献です。ご参照ください。
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◆昭和21年8月20日発行「土」。(掲示板から転記)2006年 3月17日
今日は、敬語西東を検索していてこちらの掲載を拝見しました。「土」永塚節の本が我が家にあることを思い出して、手にとって見ました。夏目漱石の「土」に就いての文が時代を感じさせます。「余の娘に読ませたい」とあります。私はまだ読んでいないのですが印刷が薄れかけていまして、しかも方言が多くては中々読みすすめないものかと思います。義父は本の好きな人でしたまた。農家の長男でしたから飛ぶようにして往って買ったものと思われます。方言の研究にこの本を書店に尋ねたところ廃版になっている由、無論図書館にはあると思いますので、研究は進んでおられると思いますが、もしこの本がお役に立つことがありましたら、ご連絡下さい。
→返信 『土』の情報有難うございました。3月20日
情報有難うございました。『土』は、その後文庫本化されて、昭和45年に角川文庫版を入手して一度読んでおります。また、その文庫本は今も手元にあります。巻末に語句の説明があります。私は、茨城県土浦市生れで二十歳近くまで土浦で生活していましたので、『土』に描かれた方言は、ほんの一部を除き理解できます。当サイトで『土』に描かれた茨城方言を紹介するに際して、一字一句詳細に読み込みました。明治時代の茨城県の農村の貧しさを涙が出る思いで感じ取ることができました。
もし、みち子様が、茨城県の方でいらっしゃらなかったり、あるいは茨城県の方でも若い方ですと、『土』を読み通すことは、大変大きな労力が必要かもしれませんが、ご一読をお勧めします。その際には、このサイトの『昔の茨城弁集』が役に立つと思います。
ざわざのご紹介有難うございました。
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◆「土」を読む意欲がわいてきました。(掲示板から転記)2006年6月13日 今日は3月に投稿してから3ヶ月が過ぎましたお元気ですか?。小説「土」を破傷風でお品が亡くなるまでを読みました。その後気になりつつも月日が流れました。そして6月11日水郷の潮来あやめ祭りと十二橋めぐり歴史ある町なみ佐原を散策しました。水田・菖蒲・水郷の嫁入り舟と満足なバス旅行でした。お陰で「土」を読む意欲が沸いてきました。鬼怒川沿いの石下に長塚節の記念館があるそうですね。じっくり読んでいつかそちらにも行ってみたいです。
角川は無く新潮文庫を購入しました。義父の本はとっておくことにします。
→返信 再度の投稿ありがとうございます。6月18日
お品が破傷風で亡くなるのは、最初の大きな山場です。長塚節の生家は私も一度行ってみたいと思っています。
ところで、私の高校時代の同級生で結城出身の長塚君がいました。そこで尋ねたところ、思った通り長塚節の子孫でした。今頃どうしているやら?。
お父様の残された本は大事に保管して下さい。また、今後読み進める上で解らない部分がありましたら、是非このサイトでお尋ね下さい。
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◆2006年7月31日
ネット検索で「昔の茨城弁集」を拝読している××という者です。千葉県八千代市に在住しておりますが、ざっと45年くらい前までは、同県富里市(旧:富里村)高野というところに住んでおりました。今頃になって“昔の富里高野弁”を思い出そうとしているわけですが、その過程で貴「昔の茨城弁集」は常に何よりも有り難い指針になっております。
貴サイトほど語彙を網羅し徹底している方言サイトはないだろうと信じます。「東京方言」サイトというのもありますが、それを遥かに凌ぐものだと思います。(活字になっているもので、私にとって感銘を受けて余りあるものとしては、大正初め頃の茨城方言の宝庫とされる、長塚節の小説『土』がありますが。)
この貴重な「昔の茨城弁集」というサイトが、益々貴重になって輝きを増してゆくことを祈念いたしております。
(付記)以下に共通の語彙例を幾つか付記させていただきます。
いごく、いしなご、えんとする(幼児をおとなしく坐らせておくときの言葉)、おごらいる、がさやぶ、けえど、とがめる、はがぢ、ひやす、ほぎる、ぼっか(棒)、までる、もじゃっぺねぇ。(数多くある中のほんの一部です。)
→返信 方言の情報有難うございました。 2006年7月31日
メール有難うございました。他のサイトの多くが投稿型のサイトか、若い方々が高齢者が話す方言を集めたものが多いように思われ、意味の解説がちょっと異なるのではないかと思うことが少なからずありました。そこで、できる限り自身が45〜30年前に実際に使った生の言葉とその意味を中心にまとめ始めたら、どうしても標準語との関係を紐解く必要が出てきて、今に至っています。
あまりに、語彙が増えすぎて、手に余り始めておりますが、多いということは決して悪いことではなく、多いほど、茨城方言のルーツが見えてきます。一方で、『茨城弁独特の方言』と思われるものが、どんどん減って来ています。言葉は繋がっているということをますます感じ始めております。
もうそろそろ種切れかなと思っても、時折ふと思い出す言葉があり、それがきっかけになって、いくつもの言葉が浮かんでくるといった状態です。
私は、学生時代に千葉市内で6年間生活したこともあって、千葉と茨城の方言は、発音はかなり異なりますが、多くの共通語があることを実体験しました。茨城・千葉共通の言葉があることは、現代標準語が浸透する前には、関東一円で通ずる共通語があったのではないかと思わせます。
情報ありがとうございました。今後も、ご支援を宜しくお願い致します。
→投稿 2006年8月2日
ご返信ありがとうございました。
これまでに、千葉県人が開設した方言サイトに「お伺い」と題してメールを2通送信したことがありますが、まるで音沙汰なしでしたので、この度は殊更に有り難く思っております。
茨城・千葉共通の方言につきまして、「現代標準語が浸透する前には、関東一円で通ずる共通語があったのではないかと思わせます。」とのご指摘をいただき、自分の“勉強”はまだまだだと痛感した次第です。
語彙の増え過ぎとかは気になさらずに、やがては膨大なものにして戴きくことを―そして後継者にバトンタッチされることを―祈念しております:のみならず、本の形での出版をも実現して戴ければと期待して止みません。
本ということで、付言させていただきますと、すでにご存知かと思いますが、去年の5月末に『新版・手賀沼周辺生活語彙』(星野七郎)(崙書房)という辞典(500余頁)が出まして、絶えず参照するようになりました。
話が前後しますが、ちょっと不思議に思っていることがあります:茨城や千葉の方言では、一つの特徴として、カ行の濁音化があるわけですが、(まだ十分に調べてはいないのですが)長塚節の『土』(1910年)では何故かその現象が目立たないと思われるのです。(なぜか私の"聖書"になってしまった)『土』の舞台は鬼怒川沿いの結城郡、貴「昔の茨城弁集」はそれから50〜60年後(私の富里弁もほぼ同時期)の土浦で、その時間の流れと地域差で変化が生じたと言ってよいのかどうか、決めかねている状態です。(が、詳しく調べてみれば、他の要因が作用していることが判明するのかも知れません…。)
→返信 『土』の不思議について 2006年8月5日
『土』の中にカ行音の濁音化が描かれていないことについては、私も不思議に思っていました。ただ、明治末期に編纂された『茨城方言集覧』には、旧猿島郡(長塚節が住んでいた)の方言として独特な訛りが数多く紹介されているのに対して、それらは、『土』にはほとんど描かれていません。
一方、旧猿島郡地域等の茨城県西部方言は、県央部に比べて、確かに濁音は少ない傾向にあるようですが、無いわけでもありません。
もし、生のままの茨城方言を小説に描いたら、読者は読むに耐えられなかったでしょうから、長塚節は、敢えて濁音表現を避けたのではないかと推測しています。
→投稿 2006年8月5日
『土』についてのご指摘・お考え、ありがとうございました。
『茨城方言集覧』には、いつか出会いたいものと思っております。言葉は、ちょっと地域が異なるだけで変化するし、遠く離れた所に類似のものがあったりするので、厄介なものだという気がします。(ですが、私の当面の問題は、“うぶすなの言葉”に限られていますし、限らざるをえない有様です。)
『土』において長塚節は、「敢えて濁音表現を避けたのではないか」というご推測、なるほどそう考えれば、「不思議さ」も薄れ、繊細な語感をもった作家・歌人の作品の実像に近づけるかもしれないと思った次第です。
また、私の場合には、昔は今のような利根川もなく茨城と千葉は云わば地続きで下総を形成していたということもあって、勢い故郷の訛りの特徴を茨城方言に投影し過ぎているようにも思われてきました。
貴サイト「昔の茨城弁集―茨城弁の特徴」や「同―小説の中の茨城弁」を読み直し理解を深めてゆきたいと思っております。
→『茨城方言集覧』はネットで見られます。2006年8月11日
時々、近くの図書館に行きます。そこには、日本を代表する方言辞典が2種類置かれています。『茨城方言集覧』(明治37年刊)に掲載された語句に解読できないものがいくつかあったので、その方言辞典を調べましたら、いずれもきちんと掲載されていました。他の語句も照合しましたが、どうやら、『茨城方言集覧』は茨城弁のバイブルになっているようです。
『茨城方言集覧』は、90年代に一度復刻本が出されましたが、直ぐに廃刊となってしまいました。しかし今、『茨城方言集覧』は国立国会図書館のデジタルライブラリーで見ることができます。URLは、下記の通りです。特にビューアーのDLは必要なく、右上の『JPEG2000表示』を『JEPG表示』に変えれば、直ぐに『茨城方言集覧』の表紙にジャンプします。
茨城方言集覧
ご興味がおありでしたら、是非ごらん下さい。
→投稿 2006年8月15日 『茨城方言集覧』(明治37年刊)のことを、また、国立国会図書館・デジタルライブラリーのこととそのURLを、教えていただき誠に有り難うございました。
早速、ご指示にしたがって、何とかそのデジタルライブラリーを初めて訪ねることができまして、『土』の時代に編まれた『茨城方言集覧』の貴重さ、歴史的・社会的重要性を再認識いたしております。愚生、生意気にも国会図書館を敬遠しておりましたが、矢張りさすがNational
Libraryだと思った次第です。これからは“心繁く”アクセスして利用してみるつもりです。
それにいたしましても、『茨城方言集覧』に収録された言葉は「茨城県に於て矯正すべき方言」であったということには、少なからず驚きました―西欧化・文明化を推し進めようとしていた時代を考えれば当然のことと考えながらも。私の小学校時代(終戦直後)に“標準語を使いましょう”が“今週の目標”になったのも、当然過ぎるほど当然であったわけです―というならば、私自身が「産土の言葉」を、次々に(殆ど唾棄すべきものとして、思い出せなくなる までに)忘れていったことも。
私の“方言研究”は、まったく暇に任せての状態ですが、今年の春頃に、『物類称呼』翻刻版(八坂書房、1976年)を(ある地域図書館の廃棄本で)信じられないような安値で入手したことは特記できると思っております。(問題は余り読んでいないことです!)『茨城方言集覧』は、出来たら復刻版を入手、さもなくばデジタルライブラリーで全ページをプリントアウトする、そんなことを考えております。
この度、ちょっとその気になったため、曲がりなりにも集めた(特徴的な)地元の方言を洗い出して、貴『昔の茨城弁集』と照らし合わせたところ、多くのものがまったく同じであることを見出し、方言の“国ざかい”等々について複雑な思いに打たれています:土浦と富里はさほど離れてはいませんので、やや大袈裟かもしれませんが。 一通り当たって同形が見つからなかったのは:
・うるみ(初茸)
・あっためげんこ(愚生地元の臨時語?)
・あんとんねぇ
・おしゃれ(タナゴ。そちらでは「オシャラグベダ」ですか?)
・かがぢ(かがじ)(ヤマカガシ)
・がんだ(炊いたご飯に良く炊けていない部分が残っている状態)
・しったり、しったらく(沢山)
・しもぶくれ(しもやけ)
・すいがち(ぢ)(カブトムシ)
・そいづに(そういうふうに。これも同じというべき?)
・たげづっぽー(「ぽーぽ」とも。竹筒)
・たびや(足袋屋)(仕立て屋、洋服店。これは方言とは言えない?)
・づ(ドジョウ・川魚をとる仕掛け)
・てばてば(手際よく、さっさと)
・てんとうむし(水田などに棲み針で脚などを刺す不気味な虫。蛭のように吸い付いたままにならない。田のように黒褐色であったか、蛆虫のような虫であったか、残念ながら良く覚えていません。)
・どうろくじんさま、きたむきのどうろくじんさま(土浦の「北向き」のこと)
・とじくさる(物が解せないほど絡まっている。「とじぐる」と関係ありそうですが…)
・どっとどろ(泥まみれの様)
・なわしろぐみ(グミではなく、ウグイスカグラ)
・ひでっぽしい(まぶしい)
・ふぐじげる(立ち木や木材などが腐ってぐずぐずになっている状態)
・へびゆり(うらしま草)
・ほっかじる(地面などを無闇に掘る)
・ぼーだら(林や庭の枯葉のしたなどに棲む極太のミミズ。現住所の地域では、これを「ドバ、ドバミミズ」と呼ぶことを知りました。)
・もくぞう、もくぞうがに(藻屑蟹)(『広辞苑』に出ていました!)
・やせひかんぴょう(ヒョロヒョロに痩せている様。干瓢に「痩せ」と「干」を付けたとすれば、言葉遊びのような強調表現?)
・よどぼし(5〜7月頃の夜、ヒデを燃やしてカンテラとし、田んぼに出てタタキ針で刺してとらえる泥鰌とり。)
ざっと以上でした。今急に思い出して懐かしく思うのは、(子どもの)「かんにんな」や(またかと思われるほど使われていた)「きまりわりー」 ですが、どちらも土浦と共通だと思います。また、「あのやろう、おらぁ、かんにんしねえ!」とか「ぶんなぐられっどしょんねがんな、かんにんしてもらえ!」なども、しょっちゅう耳にしていたような気がします。長塚節の「芋堀り」にあった“「何してけったっか、ぶっ殺されんな」と怒鳴って棒を持って飛び出した。”と同じくらい荒っぽい社会でした。(私など親子喧嘩をして、父に謝る時どう言って謝っていたのか、はっきり憶えていませんが、たぶん「ゆうべは悪かったです、堪忍してください!」と手をついて謝ったのではないかと思います…が、その言い方、ちょっと馴染まないような感じもします。)
→情報ありがとうございました。2006年8月27日
私の茨城弁集では、一度掲載したものを、改めて削除するということは少なくありません。個人のサイトなので言いたい放題のことを書いてもよいのではないかと思うのですが、40年前の記憶は曖昧さを伴い慎重に扱うようにしています。一方、このサイトの半分以上が単なる記憶によってまとめられた危うい部分がある一方で、明治期に編纂された『茨城方言集覧』、『土浦市史』、『土浦の方言』、『方言地図』等、権威ある文献を調べるとそれが裏付けられることが沢山あって、裏付けのマークを記載するようにしました。お送りいただいた情報、感謝しております。なかなかこれだけ大量の情報は得られません。
『あっためげんこ』は良く使った言葉でしたのに、何故か掲載をしていませんでした。
『かがぢ』の記憶は曖昧です。もともと蛇の別称を『かがち』と言うのは知っていましたが、『ヤマカガシ』の存在や、大蛇を『蟒蛇(やまかがち)』と言うことから記憶違いがあるといけないので掲載を控えました。
『がんだ』は語源はわかりませんが土浦でも使いました。『がんた』とも言い関東圏の方言のようです。
『たけづっぽー』は土浦では単音形です。
『ほっかじる』は土浦では『ほっくじる』と言います。
『ぼーだら』は、『ぼーたろ』と言ったかすかな記憶がありましたが掲載を控えていました。土浦では単に大型のミミズを言います。
さて、今年に入って偶然国立国語研究所の方言ページを見つけました。当茨城弁集の焦点となっている昭和40年頃に、くしくも実施された全国の方言調査がネットで配信されています。国の調査らしく、事前の緻密なヒアリングシートの作成も結果を予測していたことが推測されますが、300語近い言葉を全国を横断的に調査したものです。全国から特定の個人を選び、ヒアリングシートに従って行われたものですが、かなり信頼のできるものだと思います。発音記号の表現が難しいのですが、きっと××様のご研究にもお役に立つと思います。地図形式になっていますので、ビジュアルに把握できるようになっています。しかし、ビジュアルさを意識しすぎて、記号の識別が難しいものがあり、カラー出力しないと、判別しがたい部分もあるのが難点です。
国立国語研究所の日本語情報資料館のURLは以下の通りです。フレーム構成のサイトなので、ここからしか入れません。『一般』から入ります。画面上のカテゴリー検索をクリックします。左側フレームの2番目に『電子資料館』のタグが現れますのでその+をクリックするとサブディレクトリの一つに『日本方言地図』が現れます。その中から、お調べになりたいものをごらんになって下さい。
日本方言地図
これを眺めて少しずつ語彙を増やしています。近いうちに公開予定です。それに伴って、様々なことを考えるのですが、関東地方の言葉は、@万葉集の時代からの古い東国方言があって、それが基本になっていると思われます。Aそれに江戸時代の全国支配と西国との経済交流によって、西国の言葉が東国に伝わったものもあるようです。B千葉県の北東部は、明らかに茨城方言と似ていて、東北文化圏と海のルートによって繋がっていたのではないかと思われます。C一般に東関東方言と言う定義があり、茨城・栃木の言葉がその代表語のように思われていますが、そうではないようです。解説書もPDFファイルで見ることができますが、まだ一部しか読んでいません。
この文献で最も興味深いのは『女』を意味する『おなご』が、関東上信越にに欠落し、東北と近畿以西にあるのは不思議です。これについては、解説書でも明快な答えは得られません。
→投稿 2006年8月31日 この度も、身に余るご丁寧なご返信とご教示、まことに有り難うございました。
私のような(日曜大工ならぬ)日曜研究人には、もったいないこととさえ感じております。メールを戴くたびに、多種多様な形で現れながら大樹の幹を暗示する方言と日本語という言葉が、いわばめくるめく世界であるらしいことを痛感し溜息を禁じえませんし、日曜研究人には到底渉猟することさえできないだろうとの思いが去来します―私など「大志を抱き」過ぎたようにも思われます。
今回このような者が敢えて紹介させていただいたことが、少しでもお役に立てたとすれば、それは何よりも嬉しいことでございます。昨日『昔の茨城弁集』(ア行から開くようにしてあります)にまたアクセスしたところ、あの「あっためげんこ」が早速掲載されているのに気づき有り難く思った次第です。これでこのことばも漸く市民権を得たことになります。
××様は既に広い視野から眺め考察する地点に到達していらっしゃいますが、私などはまだまだ単に殆ど記憶をたどっているだけで、「情報」をお送りできたとしても、あやふやなことが多いはずですので、その点悪しからずご諒承をお願いいたします。(これからは面倒がらずに田舎[富里市高野]の人に直接たずねたり、資料に当たって十分に確認する、この作業をきっちり行ってゆくつもりです。)
それにいたしましても、先の「あっためげんこ」というのは、実にのどかな、愉快な情景を彷彿させるものだと思います:(心をこめて)良く利くようにと息を吹きかけてする拳骨、何度も貰ったことがありますが、良く利くのに痛くはなかったように記憶します:かつて自分自身わが子にやったこともあります…。(子育てはむずかしくて、考えることすら避けております)
××様は、私の知る限りでも、インターネットですでに「昔の茨城弁集/日常会話集」、「同/茨城弁の特徴」、「同/小説の中の茨城弁」等の長篇のサイトを発表しておられ、常々驚嘆しております。私などはどうやらペン書き・活字からパソコンへの移行が上手くいっていない気がします―と申しますか、移行し始めたところで、視力が駄目になってしまい、インターネットの活用に敢えてチャレンジする力を見出せずにいる、と言うべきかもしれません。
「国立国語研究所の方言ページ」を具体的にお教えくださいまして、厚くお礼申し上げます。前回の『茨城方言集覧』は直ぐに検索可能になりましたが、今回はそうはゆきませんでした。自分の余裕の出来たときに、再度挑戦してみるつもりです。
(追伸)
蛇足ながら、例の太蚯蚓のことですが、『新版 手賀沼周辺生活語彙』(星野七郎編著)に「ぼおたろめめず」というのがありまして、学兄のご記憶に残る「ぼーたろ」の千葉県北東部版ではないかと思われました。「棒太郎」といえば、こじつけになりましょうか:とにかく、「ぼーたろ」のほうが「ぼーだら」よりずっと良い響きに感じられます。後者はいかにも富里市の古い稲作地・高野の百姓が好みそうな方言といえそうです。
「やまかがし」(蛇)がヤマカガチからホオズキ(酸漿)を意味する「かがち」にまで遡ることは勿論、この蛇に毒牙のあることは、最近まで知りませんでした。田舎では“勇気のある”子どもが尻尾をつかまえてグルグル回したり、体に捲きつけたりしていたものです:私は臆病で見ただけでゾッとしていました。この蛇も故郷では何故か激減しているようです:たぶん餌となる水辺の蛙やヒキガエルが少なくなったからかもしれません。(余計なことですが、そこではドジョウを含め総ての淡水魚が姿を消しました―「よどぼし」[夜灯し]など遠い遠い昔話になり果てています。懐かしいウシガエル(食用蛙)の声も聞けないはずです。これが印旛沼に注ぐ鹿島川の源流が存在した/存在する所なのか、と言いたくなりますが、そういうのは後向きの嘆きに過ぎないと言われれば、それまでのような気もしています。)
→ご無沙汰しております。2006年 11月9日。
最近、○○様の教えに従って、物類称呼の文庫本(岩波文庫)を入手しました。さらに、やや高額なのですが『茨城方言民俗語辞典』も入手しました。
物類称呼は文庫本なので、仕事の合間に眺めています。私のような素人と同様の推測の内容もある一方、歴史に完たる新井白石の『東雅』の引用もあり、読んで楽しい文献です。
一方、『茨城方言民俗語辞典』の存在は以前から知っていましたが、入手したらとんでもない本だということが解りました。物類称呼や茨城方言集覧を含め、あらゆる文献を調査し、茨城弁(≒上総方言)に関する全ての文献を網羅していることがわかりました。 以前、情報をいただいた『よとぼし』についても、新たな発見がありました。以下、近いうちに公開する文面です。
『よとーぶぢ・よどーぶぢ』は、那珂郡・北茨城市・新治郡・稲敷郡・東茨城郡・結城郡・猿島郡・岩井市・筑波郡・稲敷郡・北相馬郡、『よどーぼし』は、岩井市・稲敷郡 の方言である(民俗)。『夜盗打ち』の意味なのか、『どー』とは筌の一種なので『夜どー打ち』と推測できる。ところが、投稿によると、千葉県では『よどぼし』((5〜7月頃の夜、ヒデを燃やしてカンテラとし、田んぼに出てタタキ針で刺してとらえる泥鰌とり。))と言う。この言葉を見れば『夜灯し』であることは間違い無いだろう。『よどーぼし』とも一致する。同じ意味の言葉が、意味の構成を異にすることがあるのは不思議である。単なる訛りとも言えるだろうが、その土地の言葉に置き換えている可能性もあり、方言がどのように生まれるかの一端を見るような気がする。
○○様の新たな情報があれば、お知らせ下さい。 (一部略)
→投稿 頌春 2007年1月1日
明けましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお教えいただき有り難うございました。今年もよろしくお願いいたします。
この前のメールで教えていただいた『茨城方言民俗語辞典』(赤城毅彦編、東京堂、1991年)、あれから直ぐ注文し購入しました。(書店は渋谷の早川図書というところでした。)今のところ、本務に縛られていて、ざっと見るだけにとどまっていますが、収録されている語彙数はもちろんのこと、一つの表現が特にどの地域で使われているかの記載が徹底していることも他の追随をゆるさないことと思われます。(些細なことですが、裏表紙裏の「茨城市町村地図」も、今となっては極めて貴重なものであるにちがいないと思っております。)
退職までは時間に追われる見通しで、しばらくはお先真っ暗ですが、四月からは…、と申しますか、体力あるいは「持続する精神」を取り戻すことが先決というこの頃です。
往く年来る年、これからもなおご研究を続けられ、辞書その他を益々比類なきものとされることを祈念しております。佳き年をお迎えください。
→早々のお年賀ありがとうございます。2007年1月3日。 新年早々、お年賀をいただきありがとうございます。『茨城方言民俗語辞典』については、もし、この辞典が私の学生時代に発刊されていたら、今のような方言収集はしていなかったのではないかと思っています。私の印象を無理強いして、無理にこの本をご購入されたようでしたら、お詫びしなければなりません。
『茨城方言民俗語辞典』は、あらゆる面で網羅されているように見えますが、詳しく見て行くと、助詞や接尾語・接頭語等については、他の方言書同様弱い傾向があり、その意味で『昔の茨城弁集』をネット公開している意味はあるかなと思っています。
一方、『昔の茨城弁集』の独自の単語の中には、是正・訂正を余儀なくされる言葉もいくつかありそうです。ただ、『茨城方言民俗語辞典』に無いからといって、削除するかどうか迷う言葉もあります。
昨年末から、この正月にかけて、『茨城方言民俗語辞典』を参照して、かなり、サイト情報を更新しました。、『茨城方言民俗語辞典』の情報のうち、特に民俗情報・動植物情報を除けば、2〜3割を網羅したかなと思っています。
『茨城方言民俗語辞典』の解説文によると、過去の文献以外に独自の調査をしたらしき解説があります。ただし、どのように調査したかは、詳しく書かれていません。一方、使用されている地域として記載されている範囲は、実際はもっと広域なのではないかと感じています。
また、ほとんど全ての方言・方言サイトは、ただ単に標準語に置き換えた意味を解説していますが、ご指摘の『辞書その他を益々比類なきものとされることを祈念しております。』の通り、標準語との関係性について、今後も可能な範囲で、調査・分析していきたいと思っています。それが、『昔の茨城弁集』の大きな存在意義ではないかと思っています。
この正月、実家に帰りました。その時、かつて小便をした壷が話題になりました。当時は多く『しょんべんごま』と言いました。『しょんべんこが』が本来の意味だろうという意見で一致しました。 これからも沢山の新たな茨城・常総言葉がみつかるだろうと思っています。
どうか、今後も情報をお知らせ下さい。ありがとうございました。
→投稿 2007年1月4日
この正月のご経験談に感じられる学兄のユーモアに応えられるかどうかわかりませんが、愚生の田舎はつい最近までまったくの農村で、多くの場合家の庭先には、貴郷里と同様、小用のための壷などが設けられ(埋けられ)ていました。わが家ではショウベンタンゴという言い方でした。タンゴはまるで担桶の棒読みのようです!(でも、やはりタゴの強めの言い方だろうと思います。)「ショウベンゴマ」には歯が立ちません。
また、庭の片隅には便所小屋みたいなものが茅葺で建てられてあり、そこに一日一回は入らなければならず、子どもには嫌なを通り越して殆ど地獄を想い出させるほど怖いところでした。(といって、カミベンジョ上便所にも行く気がしませんでした…。そこも怖ろしいところ…。)
その小屋の側に直径60センチくらいのショウベンタンゴが埋けられていたのでした。下掛りをお詫びしなくてはなりませんが、ついでですので、一言さらに蛇足を…、と勢い思ったのですが、綺麗な話ではありませんので、いずれまた必要に迫られた機会に譲ることにいたしたいと思います。(一部略)
→小便桶(たご)について 2007年1月8日
『たご』は、私も長く方言と思っていましたが、実は、広辞苑にしっかり掲載されています。文字は○○様がくしくも担い桶の棒読みとおっしゃられたように『担桶』と当てられています。一説には『たご』は近世大阪語で、語源は、@田籠、A田子が担う桶であるところから、B肩器(かたけ) が有力とされているようです。
実際、イラガの繭の別称として『スズメの小便桶(たご)』が残っています。また、肥桶は茨城では『こいたご』とも言いましたが、『肥担桶』(こえたご)が、きちんと広辞苑に掲載されています。
便所にまつわる話は、○○様の地方と土浦の状況は全く同じでした。○○様の地方で、小便用の壷が『しょうべんたんご』と呼ばれているのは、『小便桶(しょうべんたご)』の撥音形と思われ、古い標準語に近いことになります。一方、桶を『こが』と呼ぶのは、東北地方であることが、広辞苑に明記されているので茨城弁の『しょんべんこが』は東北系の方言ということになるようです。(一部略)
→投稿 2007年1月13日
折り返しのメールとご情報 有り難うございました。恐縮いたしております。
「たご」という一つの言葉をとってみても、奥行きと広がりがあって、方言の世界の涯しなさを痛感し眩暈を感じます。私としても、余生を費やしてなお余りあるものと言わなければなりません。机上だけでなく、脚を使い耳や目を使わなければならないと考えますと、膝関節痛のある愚生など先が思いやられます。
土浦と共通の暮らしぶりがあったことを思うにつけ、懐かしいと申しますか、なぜか切ないほどに昔のリアルな情景が偲ばれます。と同時に『土』の世界も…。
「こが」のことですが、頭の中で反復しているうちに、聞き覚えがあるような気がしてきました。兄(82歳)に聞いて確かめてみようと思います。母や兄を思い浮かべると、「こが」が甦ってくる感じです。例の壷の話から、実は兄の強調していた言い方を思い出していたのですが、「標準語」に邪魔されて、書き損ねました:それは、大差はありませんが、「しょんべんたんご」と語頭も撥音化されるものです。「しょう」じゃなくて「しょん」だと、強く直されてしまいました。 多少関係があると思いますので、ネット検索から一文を付記させてもらいます―
“われわれの子供の頃、田畑の所々に肥溜めがあって、糞尿が蓄えられ、畑に撒くまでの間じっくりと「発酵」「熟成」されていた。スコッチ・ウィスキー並みの処遇だったわけである。”「千葉ニュータウン新聞」1999年8月15日号所載
確かにその通りであったにちがいないと思われます。わが家の「小屋」にもコンクリート造りの肥溜めがあり日々「熟成」されていました。野辺のあちこちに
あり、かなり「危険な」存在でもありました。もちろん、今は一基もないはずです。
ついでながら、前回言い出しかねたことを、この際思い切って書かせていただきます。かつて郷里では、家のトイレの“溜壷”から肥場(堆肥を積み上げた庭の一角)へさほど「熟成」していないかもしれない糞尿を肥担桶に入れて運ぶ一大作業があり、汲み入れることを「ためくみ」、天秤棒で二つの桶を担ぐのを「ためかつぎ」と称していました。(堆肥の上に撒くのは「ためかけ」だったかどうかは忘れました。)おびただしい臭いもあるしはなはだ重いので、これらはもっとも遠ざけられた作業でした。一俵の米俵は担げても、「ためかつぎ」を出来ない人もいたかもしれません:ちょっとバランスを崩したら、中々元に戻せないとんでもない事態に…! これをやってのけてきた昔の百姓にはただただ頭が下がる思いがします。(中略)
蛇足の質問で申し訳ありませんが、“おばちっこ:松の木から出る甘い樹脂。又甘い樹脂の出る松の瘤(ぼぼちっこ)”というのが『手賀沼周辺生活語彙』に載っています。私も子どもの頃、その不思議な樹液を友だちと一緒に舐めていました。今では形容しえない甘露でしたが、名前を思い出しません。確かに瘤のあるところから出ていることが多かったようですが、他の部分からも出ていたと記憶します―黒松でした。学兄はそのようなご経験はなかったでしょうか。その呼称を憶えておられましたら、是非お教えください。
→糞尿運びと松の樹液について 2007.01.14
糞尿の究極のリサイクルに関して、『“われわれの子供の頃、田畑の所々に肥溜めがあって、糞尿が蓄えられ、畑に撒くまでの間じっくりと「発酵」「熟成」されていた。スコッチ・ウィスキー並みの処遇だったわけである。”「千葉ニュータウン新聞」1999年8月15日号所載』の記事には感銘を受けました。
我が家も同様で、門近くに物置を兼ねた藁葺きの『へーごや(灰小屋)』があり、その下には六畳ほどのコンクリートのこいだめ(肥溜め)がありそこで熟成されていました。胃酸まじりの強い酸性の糞尿をバクテリアの力を借りて、中性にしていたのでしょう。そのような方法はまだ進んでいた方で、多くの畑には、木製の桶を埋めた肥溜めがあって、そこで熟成されていました。しばしば『こいだめにつっぺった』話が話題になりました。肥え桶は『こいおげ・だらおげ』、糞尿を汲む作業は、こいくみ(肥え汲み)、だら汲み、『へーごや(灰小屋)』の肥溜めに運ぶ呼称は、こいはごび(肥え運び)、だらかづぎ、それ用の柄杓は『こいびしゃぐ・こいぴしゃく』等と言いました。畑に肥えを撒くのは、『こいまぎ』だったと記憶しています。○○様の情報を受けて糞尿に関わる一連の方言について、一度真剣に調査しないといけないかなと思い始めました。私は、何度か手伝わされた記憶がありますが、田舎の香水などと呼んだのは大嘘で、鼻が曲がるような悪臭だけでなく、ウジやアブの幼虫に加え、変色した新聞や雑誌類(当時はまともな紙は使っていませんでした)が混じり、さらに重心が不安定で、かなりの技術を要するものでした。熟成されたものは、臭いが随分変わり、悪臭には変わりありませんがまろやかになったと記憶しています。
松の瘤から出る白い樹液は、私も良く舐めました。名前については、『まづのちち』が記憶にありますが定かではありません。その他、まだ調査中ですが、『茨城方言民族語辞典』を斜め読みした限りでは、『あまちち、あめあめ、おんばちち、こぶあめ、ちぢこんべ、ちち、ちちおんば』が掲載されています。「おばちっこ」に通ずるものが含まれています。また松の瘤を「ぼぼちっこ」と呼ぶようですが、茨城では、『毛玉、小さな玉、玉房』等を『ぼんぼ、ぼんぼちこ、ぼんぼちっこ』と呼ぶのに似ています。『まづのたんこぶ』とも言います。
余談ですが慣用句に『柄のぬけた肥え柄杓』というのがあります。手が付けられない意味です。
→投稿 2007年1月21日
主にご郷里のかつての生活模様の一端をご紹介してくださったなかで、例えば「へーごや(灰小屋)」にも、あっと思った次第です。当郷里でも、まったく同じ言い方であったことが想い出されます―生家の場合でも、前回のメールで私が便所小屋とか言っていたのは、しばしば「へーごや」と呼ばれていた記憶があります。それはそういう場所であったし、その方が婉曲的で少しは汚いものに蓋ができると感じていたような気がします。
「こいだめにつっぺった」も、実感の湧く方言です:ただ、愚生の郷里では「〜つっこった」であったと思われます。「こいびしゃぐ」はともかく、「こいぴしゃく」も実に茨城方言を彷彿させてくれます。愚生郷里では、前者の言い方だったはずですが…。
ウジやアブの幼虫…あそこにはアブの幼虫もいたことを、忘れかけておりました。アブの中でも“真アブ”でしょうか、夏に家畜や人を刺すあの怖いアブ…。
それとも、(やはり?)コウカアブ(後架虻)(べんじょ蜂)なのでしょうか。愚生生地では、田耕い・田植えの頃、田んぼで人の脚を刺す(正体不明に近い)虫を、おかしなことに「テント(ウ)ムシ」と呼びましたが、その虫はアブの幼虫だったにちがいないと思っています。(ひょっとすると、「おてんと様にバチが当たった」ようなことだから、それを引き起こす奴を「天道虫」と言い慣わしたのかもしれない、などと考えたりしています。)
「おばちっこ」等々については、かつて使っていたであろうことばを未だ思い出せませんが、うっかりあの『茨城方言民俗語辞典』に当たるのを忘れておりました。松の瘤は、愚生生地でも先ず「まづのたんこぶ」であったのではなかろうかと思われますが…。様々な「うぶすなの言葉」を忘れてしまっていることに気づきます:脱生地しか念頭になかったことが、まずかったようです―
田舎は後進で古臭くて野暮で汚らしくて野蛮で、どうしようもない、などと思っていたことが。いわば勘次や遠州森の石松のような人種から生まれ変わろう という念願しかなかったのは、若気の至りでした。
(また付言で失礼いたします)今日(20日)地元の病院へCTスキャンに行ったところ、ほんの数分でしたが、廊下で老人が付き添いの看護士と交わす楽しげな話が聞こえ、傾けた耳に「はいりぐち」というのと「いぐよっかはえぐ」というのが飛び込んできました。両方とも「ぐ」は“gu”と聞こえました。私の郷里では、前者はやはり「へーりぐち」だったのかもしれません―丁寧語にしようとすると、そのおぢいさんのような言い回しになったか…。(他にも多々ろうとは思いますが)例えば「めえない」という言い方:「めえねえ」の丁寧語の一つ、あるいは女性語だったと言えるような気がするのですが…。
折に触れご指摘の江戸言葉…、ここで、森の石松、と言いますか、広沢虎造の浪曲が思い出されます。またCDを聴いてみたのですが、先刻ご承知のこととは存じますが、聴き取れたと思う言い回しを以下に記しておきます(彼の浪曲は標準語と江戸言葉[べらんめえ]の混交体と思われます):「かいって(帰って)まいりました」、「なまい(名前)」、「めぇさます(目を覚ます)」、「しばち(火鉢)」etc.、「あさしがげ(朝日影)」、「さむしい(さみしい)」、「かんがいたら(考えたら)」、「ぶるさがってやがらあ」、「ばやい(場合)」、「横づっぽう」(片方の頬)等々。他の曲では、「四天王のいちにん(一人)で…」というような、洒落たことばと聞こえる言い回しが、いとも自然に出てくるのに驚いたりしました。
威勢のいいのがありました:「…貧乏という棒はねえ、曲がりながらも姿があるもんだが、あいつのは棒がない、ビーンてんだ、棒がどっかへ飛んでっちゃってやがる。」この初めの「貧乏という棒…」は、かつてよく聞かされていたように思い出されます。また、ある位牌にシャレタことを言わせて:「恩人を助けるために仏壇売ったのなら、仏壇苦情は言わない、位牌承知仕り候。」ときたもんです!(浪曲は、演歌と共に早く忘れようとしたものでした…。)
『柄のぬけた肥え柄杓』という慣用句、知りませんでした。諺としてまことにリアリスティックです。当方には、パッとしたものが、あまりなかったかも知れません。
平凡な「南風でもたんと吹きぁ寒い」は祖母がその都度言っておりました。叔母の口をついて出たのは「おがむしトンボんやろくっせー」というもの。(「自分のことを棚にあげて…」というような意味でしょうが…)「とっくのむがしねごのしょうがつ(とっくの昔猫の正月)」というのが耳に残っていますが、これはどう扱うべきか迷っております。
→貴重な情報有難うございます。2007年1月24日
落ちる意味の『つっこる』は、土浦でも使います。『つっぺる』の茨城の類似語は『つっぱいる・つこでる・つこぢる・おんのまる・うんのまる』等があります。『つっぺる』は広域方言のようです。茨城では落ちるとはややニュアンスが異なり、現代語では『はまる』意味に近い方言です。ちなみに『かごめ唄』は現代では『かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる 夜明けの晩に つるとかめがすべった 後ろの正面だあれ』ですが、江戸時代には『かごめ、かごめ 籠の中の鳥は いつ、いつ、でやる 夜明けの晩に 鶴と亀がつっぺった 後ろの正面 だぁれ』と歌われた記録があるそうです。『つっぺる』も江戸言葉のようなのです。
田んぼで人を刺す幼虫は、ウシアブの幼虫と思われます。アブのうち最も典型的な種類です。茨城県下では『たうじ、たばぢ』等と呼びます。それを「テント(ウ)ムシ」と呼ぶのは大変興味深いと思います。また、『まあぶ』はもしかしたら『うまあぶ・うまばえ』の訛りかと思われます。『うまあぶ・うまばえ』は、主に馬の胃に寄生するアブで皮膚に卵を産むアブのようです。
病院で耳にされた、『いぐよっかはえぐ』の意味は、『行くようかい、早く』の意味なのでしょうか。あるいは、茨城弁で『いつかは行く』意味の『いぐいっかはいぐ』と同じ意味の方言なのでしょうか。千葉に類似してに茨城でも『行く』は『いぐ・えぐ』と言い、『ぐ』は鼻濁音を使うこともありました。『茨城方言民族語辞典』では、鼻濁音の表現がされていないので、私の知る限り『土浦の方言・続土浦の方言』でしか、そのような発音があったことは知ることはできません。これは推測ですが、『往ぬ』が訛ったのではないかと考えています。
入り口は今では『いりぐち』と言いますが、『這入り口(はいりぐち)』と言う言葉があります。これも土浦では多く『はいりぐぢ・へーりぐぢ』と言っていました。『ぐ』はいずれも鼻濁音です。現代語では『入る(はいる)』ですが、別に『這入る』と書くことを広辞苑で見つけた時は感激しました。そういえば入ることを『はいいる・はえいる・はいえる』とも言っていたと思い出し、辞書を調べると『這い入る』があり、驚いた経験があります。現代語の『入る』は『這い入る』がつまったことも広辞苑に書かれているのを見つけて、茨城には古い言葉が残っているのを知るきっかけになりました。また土浦でも『めえねえ』は男性語、『めえない』は多く女性語です。これも江戸語なのでしょうか。余談ですが『めっける』は、見つけるの訛として広辞苑に掲載されています。
ご指摘の江戸言葉の「なまい(名前)」、「めぇさます(目を覚ます)」、「しばち(火鉢)」、「あさしがげ(朝日影)」、「さむしい(さみしい)」、「かんがいたら(考えたら)」、「ぶるさがってやがらあ」、「ばやい(場合)」、「横ずっぽう(横面)」のうち、「あさしがげ(朝日影)」については、『が』は鼻濁音、『げ』は鼻濁音で使ったことを思い出しました。ただしくは『あさひかげ』ですね。、『さむしい・ばやい・横ずっぽう』は広辞苑に掲載されています。『ぶるさがる』は、かつて落語家の柳家金語楼(やなぎやきんごろう)が使っているのをテレビで耳にしました。『気いつける』も使われますね。『たいしたもんだよ 蛙のしょんべん 見上げたもんだよ 屋根屋のふんどし』は、フーテンの寅さんのトレードマークになっていますが、これも『田へしたもんだ』と『たいしたもんだ』をかけているようですね。ただし典型的茨城弁では、『めーさます・しばぢ・さむしー・かんがいだら(かんげーだら)・ぶるさがってやーがら』の方が実際の発音に近いようです。茨城では江戸弁ほど『ひ』と『し』の混同が無いのが不思議です。私の義理の叔母は調布生まれで、今年86歳でですが、『皮肉』を『しにく』などと言ったりします。ちょっと思い出した言葉ですが『潮垂れる(しおたれる)』も最近聞かなくなった言葉で、茨城では『しょったれる』と言います。限りなく古い標準語に近い言葉です。元気の無い人を『しょったれ』とも言いました。
江戸人の慣用語は、俗に『付け足し言葉』と言われているようです。江戸言葉は文化だけでなく言葉も豊かだったようですね。以下、ネットで拾った付け足し言葉(一部現代語も含まれます)です。落語で耳にする言葉もあります。フーテンの寅さんが良く使っていたものも入っています。現代標準語は、俳句や和歌のリズム感が全くなくなっていますが、江戸時代はその感覚が重要視されたことがうかがえます。英語の発音はそのまま歌になると言われるようにリズムが重要視されますが、現代日本語ではリズム感が失われたことは残念です。茨城弁もかつてはそうで、長音化・単音化は全て許されていました。
・結構毛だらけ 猫灰だらけ
・たいしたもんだよ 蛙のしょんべん 見上げたもんだよ 屋根屋のふんどし
・信州信濃の新そばよりも あたしゃあなたの側がいい
・あなた百までわしゃ九十九まで 共にシラミのたかるまで
・いくら掘っても 畑に 蛤(はまぐり)出てこない
・四谷 赤坂 麹町(こうじまち) ちゃらちゃら流れる お茶の水
・男は度胸で女は愛嬌、坊主はお経で、学生は勉強、庭で鶯ホーホケキョウ
・鶴は千年、亀は万年、隣の婆さん後1年
・張っちゃいけねえ親父のアタマ、張らなきゃ食えねえ提灯屋(ちょうちんや)
・亭主の浮気にカカアはカッカ、お猿のオケツは、マッカッカ
・色は黒いが浅草海苔は、白いマンマの上に乗る
・驚き桃の木 山椒(さんしょう)の木
・(狸にブリキに蓄音機、ぶんぶく茶釜は 化け狸)
・(ブリキに たぬきに 洗濯機 猪木に えのきに ケンタッキー)
・あたりき 車力(しゃりき)よ 車曳(ひ)き
・(あたりき 車力 河童の屁)
・蟻(あり)が鯛(たい)なら 芋虫(いもむし)ゃ 鯨(くじら)みみず 19で嫁にいく
・蟻が十(とお)なら 芋虫 20(はたち) 百足(むかで)汽車なら、蝿(はえ)が鳥
・蟻が10匹(ありがとう)
・嘘を築地(つきじ)の 御門跡(ごもんぜき)
・恐れ入谷(いりや)の 鬼子母神(きしぼじん)
・おっと合点(がってん) 承知之助(しょうちのすけ)
・その手は桑名(くわな)の 焼き蛤(はまぐり)
・何か用か 九日十日(ここのかとおか)
・日光、結構、東照宮
・(日光、結構、もう結構)
・桃栗3年 柿8年 柚子(ゆず)は9年で成りかかり、梅は酸い酸い13年、梨の大馬鹿18年、林檎ニコニコ二15年
・何がなんきん 唐茄子(とうなす)かぼちゃ
・(俺がこんなに強いのも)あたり前田(まえだ)の クラッカー
・蟻が鯛なら 芋虫ゃ鯨
・何がなんきん 唐茄子かぼちゃ
・困った膏薬 貼り場がねえ
『土』の一節に勘次がこんなことを言っていました。『俺(お)ら、鉋(かんな)の持たねえ大工(でえく)だ、鑿(のみ)一方っちんだから』
「南風でもたんと吹きぁ寒い」は、聞いた記憶があります。「おがむしトンボんやろくっせー」は興味深い言葉だと思います。「とっくのむがしねごのしょうがつ(とっくの昔猫の正月)」は茨城・福島で使われる『とっくのとーが・とっくのとおか』(とっくのとうをもじったもの)と似たものではないかと思われ、『とっくの昔』のつけ足し言葉なのでしょうか。それにしてもカ行音の濁音化は千葉にもあるのは知りませんでした。ここでも余談ですが、私は学生時代千葉に6年住みましたが、下宿のおばさんがよく『あじにもおいねえよう』と言っていました。茨城にもN音の脱落はありますが茨城の代表語では『なじにもなんねよ・なじょにもなんねよ』になります。千葉方言のN音の脱落はかなり特徴的ですね。
(追伸)ところで『柄のぬけた肥柄杓』は、茨城の慣用句です。全国?的には『柄のない肥柄杓』と言うようです。失礼しました。
→投稿 2007年3月8日
「鶴と亀が“つっぺった”」は、なるほどと思いました。それがオリジナルだったのですね。ちょっとネット検索をしたところ、埼玉・栃木・福島で茨城と同様の使い方のようです。「甲州弁講座」とかいうHPでは「堰(せぎ segi)につっぺった」とあり「落ちた、はまる」となっていました。(おもしろいのは、それが山梨のどこかわかりませんが、「堰」が「せぎ」と濁音になることでした。)
濁音と言ったついでに、申し添えますと:愚生生地(現千葉県富里市)では
タ行とカ行の言葉は殆ど常に濁音化していました―こご、そご、どご、「誰もいねえのげ?」等のように。逆に、茨城では清音化が個性的のような気がします。例えば、思いつきですが、「小遣い」が「こつかい」という風に(『茨城民俗』による)。
富里だけでなく八千代市でも濁音化は通有のようです、この前の「いぐよっかはえぐ」のように。 この「いぐよっかはえぐ」は、「行ぐよっか早えぐ」で「よっか」は「よりも」ですから、「行くが早いが、着くや否や」を意味するものと思われます。(「いぐ」は「往ぬ」の訛というご指摘、ぼんやりと乍ら考え深いものがあります。)(地元で耳にした、この「いぐよっか〜」には卑猥な連想が伴うような気もしないではありませんが…。)
「ウシアブ」についても、ありがとうございました。このアブの幼虫は、田仕事をする人の大敵ですね。あの『茨城民俗』では「アラマラ」という見出し語があり、“「アラマラー天井いたぐねー」と3回唱えるといたくないという”に続いて“この虫は水田で人を刺して殺しておいて、死んで流れて来るのをみなくち[水口]で待っているという”を付記しています。この言い伝え(迷信)は実に面白いと思います。(他にもアブの幼虫を意味する見出し語があったと記憶しますが、はっきり思い出せません。)(マラは魔羅なのでしょうか??)
「入る」は「這い入る」の約まったもの:うっかりしておりました―また、例によって『広辞苑』という辞書が手放せない資料であることも、またもや痛感いたしました。(手慰みの愚作ですが、確か去年こんなのをひねってみたことがあります:「五月晴れ窓から這い入る書斎かな」[持ち歩くべき鍵を閉じ込めてしまったのでした!])
「めっける」が「見つける」の訛として『広辞苑』が掲載していることにも驚きました。しかし、それは例えば「めっかんね」(見つからない)のような訛をも念頭においていたのでしょうか。「めっけもの」は確かに標準口語でも使われていますね。
最近聞かなくなった言葉としてご指摘くださった『潮垂れる(しおたれる)』は、茨城では『しょったれる』とのことですが、愚生生地でも同様だったと思い出されます。特に、『しょったれ』は鮮やかに甦ってきました―「こんしょったれ! そんなこっちゃしょーねどぉ!」とか…。
『土』の一節での勘次の威勢のいい一言「俺は鉋の持たねえ大工(でえく)だ。鑿(のみ)一方っちんだから。」(『土』14章)のご指摘、たいへん参考になりましたし、私など(お恥ずかしいことですが)素通りしておりました。「飲み」と掛けていた訳ですね:そうでないと意味をなさないでしょうから。「と勘次は相手もないのに態とらしい笑ひやうをして女房等の居る方を見た。」という叙述文が付いておりました。(勘次は無知蒙昧と思っていたりすると、不意にそのような洒落をとばすことがあるのですね―酒の勢いではありますが。)(「鉋の」の「の」に興味を覚えたのですが、他の用例を思い出せません。)
フーテンの寅さんの『たいしたもんだよ 蛙のしょんべん 見上げたもんだよ 屋根屋のふんどし』をはじめ、江戸人の「付け足し言葉」およびその現代版のご紹介にも感謝いたします。折に触れ参照させていただくつもりです。それにしても、頓知を働かせてくれる人がいるものです!
またちょっぴりネット検索:「どうで有馬の水天宮」が目に飛び込みましたが、この「どう」は馬をおとなしくさせるときの掛け声と「如何」を意味するもののようです。「びっくり下谷の広徳寺」「なんだ神田の大明神」「親ばかちゃんりん蕎麦屋の風鈴」なども同種のものでしょうか。
「桃栗3年…」では、「桃栗3年柿8年、柚子の馬鹿野郎13年」が愚生郷里の土俗版です。(柿は屋敷に何種類か実をならせていました:甘いのは黒ゴマとオオズルでしたが、そのオオズルは筆柿や珍宝柿と呼ばれる種類で、兄は珍宝〜を殊更強調していました、笑いながら。渋柿は今は切られてしまった蜂屋と[名前不明の]つるし柿用の極渋のがあり、甘い・渋いのはっきりしないのが3本ほど、その1本は「おそらく」、もう一つは「えもん」と呼ばれておりました…。長塚節生家の大きな柿の木が想い出されます。)
“お国自慢”になりそうですが、メモ的に記させて戴きますと、愚生の男親は
英語を齧っていまして、英語の曜日(SundayからSaturdayまでの曜日の言い方)は「三文(Sun, Mon)のちゅう(Tues)助が木も植えず(Wednesday)花も差さず(Thursday)、毎日毎日ふらふらでー(Friday)沙汰(Saturday)の限りだ」と覚えるんだといい気になって言っていました―生前の50歳頃で愚生小学〜中学時代(1950〜54年頃)だったようです:誰の作だったのでしょうか、忘れ難い文句となりました。
彼は満鉄に勤めていたこともあり、中国語も齧っていました:早いうちに、教わっておけばよかったとも思います(が、愚生父親嫌いでありまして…)―記憶に残るのは「脳天ホワイラー」(〜「壊了」でファイラが原音に近いようですが)だけとは…!
『茨城民族方言辞典』の頁をめくっているうちに、「までー」に出会い、ハッとしました。その辞書には「丹念な(に)」というような意味となっていまして、それが本来の意味かもしれませんが、わが郷里では多分「もたもたしている、まだるっこしい」の意味で使われていた記憶があります。「までー」と言われた人の弱り果てたような、かなしそうな顔が思い浮かびます…(「きわめて不器用、へたくそ」の意味で)“ぶぐぢねなぁっ!”と言われたときのように。
末筆ながら、以前『昔の茨城弁集』の「ニラムシ」を引いたとき、その詩的な・文学的な解説に感銘したことがあります。学兄は極めて繊細な感性を持った多感な少年であったに相違ありません。私などがニラムシ遊びを余り好まなかったのは、単に下手であって、その遊びがつまらなかったからであるに過ぎず、いわば成長に不可欠な一つのトラウマを経験せずに過ごしてしまいました(その分成長が遅れたようにも思われます)。
→これからも宜しくお願い致します。2007年3月11日。
毎回ご丁寧なメールを有難うございます。楽しく拝見させていただきました。
山梨の「甲州弁講座」は大変な力作で、一度目を通したことがあります。茨城との共通語が沢山あり、現代の標準語こそ方言ではないかという実感をいだきます。
一番気になっておりました、「いぐよっかはえぐ」は、完結文と勘違いしていました。納得しました。『行くより早く』の意味だったんですね。茨城流に言えば『いぐよっかはいぐ』となります。最も『土』の時代なら、そのまま「いぐよっかはえぐ」だったかも知れません。
ウシアブの幼虫を『しんだんべ・しんだんぺ』と主に県央から県西にかけて呼ぶことを知っていましたが、ご指摘の『アラマラ』を見落としておりました。面白い言い伝えなので、近々、サイト掲載したいと思います。
「こんしょったれ! そんなこっちゃしょーねどぉ!」は、殆ど違和感ありません。『しょーねー』は土浦でも使いますが、どうやら茨城南部の方言のようです。県下全般では『しゃあねえ』を使います。もっともこれは、標準語世界でも俗語として使われますが。
英語の曜日の覚え方には、感激しました。つられて明治期の時間を問う言い方に『掘った芋弄るな』があるのを思い出しました。
『までー』は、土浦でも良く使いました。私のサイトでも解説していますが、恐らく『まて』(実直なさま・真面目・律儀)または『全い(またい)』(正直)が転じたのだろうと思っています。
『物類称呼』から始まった文献調査ですが、国会図書館のデジタルライブラリーがさらに充実したのに加えて、『うわずら文庫』なるサイトを見つけました。立命館大学のサイトのようです。『物類称呼』もここで見ることができます。国会図書館のサイトから『俚言集覧』をダウンロードして眺めています。もともとは。『物類称呼』に先立つこと60年前に発刊されましたが、明治期に再度編纂されて、『物類称呼』『本草啓蒙』『雅言考』『東雅』等、江戸時代の著名文献が網羅されています。現代の国語辞典と異なり、地方の言葉を方言扱いせず、淡々と編集されているのが好感が持てます。また、旧仮名使いではあるものの、かなり口語を意識しているようで、濁音か否かも明記されています。茨城弁の清音化現象は、標準語に対して清音化しているのではなく、江戸時代の言い方の名残りであることが、明らかになりつつあります。デジタルデータなので不鮮明な部分は読み飛ばすしかありませんが、復刻本は16万円もする高価なものです。膨大な辞書なので、向う1年程度かかりそうですが。読みきりたいと思っています。
→投稿 2007年3月16日。
「甲州弁講座」の他に、「東京方言辞典」というサイトにも当たったことがありますが、簡便に出来ていると思われました。
愚生には様々なことが抜け落ちていまして時々自信も抜け落ちそうになりますが、「掘った芋弄るな」もその一つだと気づきました。(この種のものを集めた本も出ているにちがいありません、ニューヨークを「紐育」とか表記する日本人のことですから!)(中国語では「紐約」と書くようです…。)
「までー」は「まて」に由来するとのご教示ありがとうございました。『茨城方言民俗』は、そのような言及が皆無であることも一つの欠点と言えると思われます。その他いろいろな点で改訂された新版が出てくれれば大いに助かるのですが…。私が気づいたところでは、(その一書内での)相互参照(cross-reference)が稀にしかなされていないということも極めて残念なことです。例えば「アラマラ」のところで、最後の方に“→「しんだんべ・しんだんぺ」”とか記して[その逆も同様]あれば非常に有り難いわけです。 ですが、「民俗」の点では流石にかなり行き届いていることも確かだと思います。
国会図書館のデジタルライブラリーについてのご教示にも感謝いたします。
『うわずら文庫』に当たってみましたが、今のところ、ちょっと参照しにくい感じです…。『俚言集覧』は、なんとか参照できそうですので、今後折々に当たってみるつもりです。『物類称呼』にも! その他『本草啓蒙』 『雅言考』『東雅』等、愚生には大変なことになってきました。(余命の中で、
どのくらいできるのか、自信がありません…。)
『昔の茨城弁集』および『茨城方言民俗』に関連して:順不同ですが―「かま」:愚生郷里で電柱に取り付けられた変圧器のことですが、これが『茨城方言民俗』に載っておりまして驚きました。「おがしい」が「恥ずかしい」を意味するのも下総に共通するのでしょうか。私も聞き覚えがあるような気がしています!
例のアブの幼虫、これを意味する「てんとむし」(「てんとうむし」)も、「天道虫」として掲載されているのに出会い、文字通り眼を開かされました。 その呼称、私の生まれ育った小さな村落だけのことではなかったのです。
もう一つは「ぢごくそば」(地獄蕎麦)(=ドクダミ)ですが、その共通性も
新発見と言うべきかもしれません。これは富里人、いや、千葉県人が「くちゃめ」(マムシ)とともに得意げに言い触らすことばでした。
この「くちゃめ」は、茨城では、『茨城方言民俗』にあるとおり「ぐ(gu)ちゃめ」となるのでしょうか。「くまんばち」(=スズメバチ)も共通ですね。
「ねーゆ」(=煮え湯)、「ねごのしっぽ」(=末子)、「ぶぐじねー」(=ぎごちない)(富里では「ゆぐぢね」ともなり、「不器用、へたくそ」が前面に出ていました)、「おぼすな」(=村の鎮守)、あるいはまた「かむ」(=嗅ぐ)などを懐かしく想い出しました。
(ただ、この辞書では、し、じ、す、ず、ち、ぢ、つ、づ、等の区別も望まれることではないかと思われました:「ぶぐじね」を「ぶぐぢね」と表記すべきかどうかは難しいことでしょうが…。「地獄蕎麦」は矢張り「ぢごくそば」ではないでしょうか。この伝でゆくと行き詰まることが予想されます―「そっじゃ」等々の「じゃ」を「ぢゃ」と表記するとなると、今のところちょっと抵抗がある次第です:統一ということでは、そうならざるを得なくなってまいりますが。)
同辞書に「おぶ」(お湯)が載っていないのに気づきました。貴『昔の茨城弁集』には幼児語として掲載されていますね。『手賀沼周辺生活語彙』では「幼児語で湯、又は風呂」と記載されていますが、愚生郷里でもそのように使われていましたし、ひょっとすると「(器に入れた)水」をも意味していたかもしれません。
「とや」は『土』でも愚生郷里でも、母屋の壁等に設けられた「鶏の塒」のことですが、『茨城方言民俗』ではその意味を記しておりません。これは、その意味が余りにも一般的と考え得るからでしょうか。
勘次の家ではかなり低いところに作られているようですね、たしか米俵に乗って卵がとれたように書かれていますから。愚生生家では(大袈裟と思われるくらい頑丈な)梯子が掛けられてありました。
とにかく、芭蕉の「蚤しらみ馬のしと(尿)する枕元」を引き合いに出すまでもなく、昔は鶏をはじめ家畜と一つ屋根の下で暮らしていたのですね。
(擬音語についての小発見)『茨城方言民俗』と『手賀沼周辺生活語彙』を眺めておりましたら、前者では「ジャッチャ、ジャッチ」(ジャッチメ、ジャッチャメ)、後者では「チャッチャ」を見つけました。前者に「ささ鳴きの頃のウグイス(の声)」とありますが、私の場合それをミソサザイの鳴き方と思ってまいりましたので、 なかなかウグイスとは結びつきませんでした。
以前、英語の“jug-jug”に出会いそれがナイチンゲール(小夜啼き鳥、夜啼きウグイス)の鳴き声(の代表的擬音語)と知っても、異国の鳥で夜啼きなら、さもあらむくらいに受け止め、それ以来最近まで鶯の声を締め出しておりました。
小鳥の鳴き声のCDで聴いてみましたが、「ホーホケキョ」の「ケキョ」くらいだと言えそうです。(体の色は寧ろスズメのようです)
しかし、この場合、日英の聴覚はほぼ同質と考えられ、驚きを新たにしております。英国人がこちらのウグイスの絶妙な鳴き声を聞いたら、どう感じるのでしょうか。(ある英国人[ジェイムズ・カーカップという詩人]が桜花の色を蒼っちょくれた侘しい色合いとか言っていたのが、ふと想い出されます。) 『茨城方言民俗』によりますと、「ジャッチャー」と語尾を長音にすると「父」を意味するらしく、その微妙な区別に興味を覚えました(ですが、やはり混同してしまうのではないでしょうか…)。
→膨大な情報ありがとうございます。2007年3月17日。
茨城方言と千葉方言には、おっしゃる通り多くの共通語があるのは、私も以前から感じていました。
『かま』が柱状変圧器を意味することが『茨城方言民族語辞典』(以下民俗)の掲載されているのは、知っていました。ただし、これについては専門用語可能性があり、掲載は控えていました。東京電力の古い呼び名の可能性があるからです。
「おがしい」は、確かに茨城でも「恥ずかしい」意味があります。
アブの幼虫を、「てんとむし」(「てんとうむし」)と呼ぶのも、なにやら、別に言い伝えがあるかもしれませんね。興味深い言葉です。
「ぢごくそば」(地獄蕎麦)(=ドクダミ)は、私が知る限り、茨城・千葉・福島で使われるので、東関東方言だろうと思います。
「くちゃめ」は茨城では、通常「ぐ(gu)ちゃめ」にはなりませんが、『民俗』には、『ぐじゃへび』があります。何故そう呼ぶのかは不明です。茨城では、特殊なケース(主に動植物等の名詞で複合語を形成するもの)を除き、第1音が濁音化することはないからです。
『し、じ、す、ず、ち、ぢ、つ、づ』の表記については、私もサイトを作る際に悩みました。江戸時代までは厳格に表記されていたようですが、現代語が中途半端な表記ルールになっているのは、ご存知の通りです。私のサイトでは、標準語をベースに表記していますが、語源が明らかにならないと正確には解らず、『民俗』のように割り切った遣り方も、ある意味で良いことなのかも知れません。ただし、中には全く異なる言葉に見えてしまうものもあるのは確かです。
「おぶ」(お湯)は、広辞苑に『おぶう』で掲載されています。私のサイトでもそれに従って表記しています。(器に入れた)水ではないかというご指摘、なるほどと思います。ただ、私は、子供が飲む湯なので『うぶ湯』なのかなと考えたりしていましたが、サイトには特に明記していません。
「とや」は、広辞苑にもある通り『鳥屋』と考えておりました。
擬音語についての○○様の博識ぶりには、感服いたしました。
外国語と日本語の音韻に対する共通した感覚は、私も感じております。個別に解説したりしているものはあります。ただし、○○様のようなスマートな解説は、私には無理のようです。ところでキリストを指す言葉は『イエス』ですが、英語圏では『ジーザス』と言います。これはjをiと発音するかそのままjと発音するかによります。日本語にも類似の言葉があるはずですが、目下明らかになっていません。
また、方言を収集して感じるのは、助詞や助動詞にこそ醍醐味があるということです。東国語の『べえ』を基本にした茨城弁の『ぺ』『へ』の面白さ、格助詞『が』については茨城弁は古語をほぼ忠実に残していること、助動詞『やんす』『やす』『がす』『がんす』『ごす』『あんす』は、昭和30年代に茨城で使われていましたが、江戸の遊郭言葉だったり、鹿児島弁の『ごわす』とのつながりが発見できたり、枚挙に暇がありません。茨城弁こそ、特殊な方言ではないかと長い間私自身思っていました。ところが、きちんと辞書を調べ、他県の方言を調べ、古文書を見ると様相は一変しました。調べれば調べるほど、茨城弁はなにも特殊なのではなく、近県とのつながり、そして過去とのつながりが特に大きい言葉なのだということです。今では、『ます』『ございます』に統一されてしまいましたが、江戸時代の言葉は実に豊かで、また茨城県にそれが長く受け継がれていたことを喜びに思いたいと思います。
そして、『俚言集覧』を参照し始めて、茨城県人が方言と思っている言葉の中に多くの江戸言葉があることが判明しました。広辞苑等の著名な辞書も、『俚言集覧』等の地道な先人達の業績の上に成り立っているのだということがわかりました。広辞苑にしばしば、『物類称呼』からの引用があることも納得できました。
『民俗』や『方言地図』『物類称呼』『俚言集覧』の情報の中から、最近動植物等の方言を抜き出しました。例えば、ナメクジの常陸言葉は『はだかまいぼろ』(裸カタツムリ)、ナメクジは『いーなし』(家無し)です。また、『ツララ』を意味する茨城方言の多さにも驚きます。かえって標準語の『ツララ』っていったい何だろうと思わせるほど豊かな言葉が並んでいます。アリジゴクも同様です。セミも驚くほどの言葉があります。
このような興味深い方言とは別に、江戸時代の動植物言葉は種々雑多で、さらにそれらが、方言としてではなく『お国言葉』として大切に記録されていることが解りました。それらの多くは標準語をベースにした言葉ではなく、まさに『お国言葉』で、昔の人達の動植物に込めた思いを感じることができます。
代表語は『こそぐる』です。今では、誰もそんな言葉は使いませんが、江戸時代には、『くすぐる』ことを『こそぐる』と言っていたようです。もし『くすぐる』が正しいのなら、『くすばゆい』という言葉がなければなりませんが、現代語では『こそばゆい』が残っています。
橘守部の『俗語考』はざっと目を通して終わりましたが、古い語源書である、貝原益軒の『日本釈名』、橘守部の『雅言考』、新井白石の『東雅』に至っては、いったいいつの日にたどりつけるか全く先が見えません。特に新井白石の『東雅』と貝原益軒の『日本釈名』は、日本語の語源書のバイブルであり、『日本語源大辞典』の出展に数多く出てくるものです。ただ、語源の推察は、データ量の相違で信頼性が変わります。茨城弁のルーツは茨城弁だけでは決して解読できないのは自明の論理だと思います。言葉のルーツを論じるならば、ありとあらゆる古い言語データを駆使して論じなければならないというのが、恐らく現代方言研究者の絶対条件なのでしょう。けれども、民間研究者の私や○○様は、その域からはずれて論じても良いのではないかと思います。最近知ったことなのですが、茨城方言で『行く』を何故『いぐ』と言うかが学者間で意見が分かれているそうです。いまだに結論が出ていないというのです。素人が考えても、カ行変格活用する『行く』が『いんべ』というような発音化することは考えられない。だから、『行く』はかつては『往ぬ』だったのではないかと誰もが言います。
余談ですが、ネット公開されている『千葉県印旛郡方言訛語』には、続編があるのでしょうか。ご存知でしたらお知らせ下さい。
最後に、最近気がついたことがあります。茨城では昔の子供の遊びの一つである、『ねっき』を『げんこ・げんこぶぢ』と言います。何故そう呼ぶかが解らなかったのですが、『俚言集覧』を見ていましたらこんな言葉がありました。『げんこ:×族の×助の語に五文をげんこといふ。げんとばかりもいふ。』『げんことり:五文取り餅をげんこ取という。』とありました。ここで、『五文取り餅』とは『五文取』のことで広辞苑には『江戸時代、街道などで売った一個五文の餅。東海道安倍川原のものは名物であった。』とあります。×は、ネットの画像が不鮮明なため読み取れなかったものです。となればこの茨城方言の『げんこ』とは五文のことであり、『げんこぶぢ』とは『五文を掛けること』の意味と解釈すれば、不思議な呼称が与えられた謎が解けると考えました。素人レベルの推察ですが、『昔の茨城弁集』にはそのようなかつて無かった推察をかなりの数の語句で検証しています。大半は推察の域を出ませんが、自信を持って言えるものもありますので、是非ご意見をお寄せ下さい。
→投稿 2007年3月18日。
「かま」については、ご指摘に従いまして、なお調べていきたいと思います。
「方言を収集して感じるのは、助詞や助動詞にこそ醍醐味がある…」とのお考え、肝に銘じるばかりです。愚生未だそうしたことに気づかずにおりますので、アトランダムな「投稿」になっていると思われますが、ご海容をお願いいたしたいと存じます。
「猪突猛進」を確かめておりましたら、その逆の「人生字を識るは憂患の始め」に出会い、これは幾多の詩人・作家にあてはまると同時に、言葉の根本に迫らんと している学兄にもあてはまると思った次第です。
広辞苑の「おぶう」を確認させて戴きましたところ、第5版では「@湯。茶。Aふろ。」とあり、たまたま持ち合わせている第1版では「@湯。A水。おぶ。もんも。うも。ちょちょ。」となっておりました。「もんも」等々、まだ調べていないことをお詫びいたしますが、そのような幼児語もあったのかと少々驚いております。
『がんす』『あんす』(等々)は、『土』で初めて出会ったような気がします。郷里では殆ど使われていなかったと思います。
常陸言葉の『はだかまいぼろ』は古語のような、いわく言いがたい詩的なことばに感じられます:それだけですでに詩の一句ではなかろうかと思われます。ナメクジは確かに「宿借り」ではなく『いーなし』(家無し)そのものと、命名者に同意せざるを得ません。
「ねっき」遊びについてのご高見、ありがとうございました。私など考えも及ばないことで、感謝いたしております。また、このところ直ぐ手許にある『茨城方言民俗』に当たるだけで済ませておりまして、つい貴『昔の茨城弁集』を開かず仕舞いになり、失礼いたしております。(ですが、他のいかなるものに当たる際にも、貴サイトが常に指針となっていると感じていることも、確かです。)
語源の話題は横道にそれることになるかもしれませんが、「言葉のルーツ」ということでちょっと思い出したことがありました。それは『一音語のなぞ』という本のことです。これは1972年に、民間研究者の望月長與という人が発表したもので、一口で言えば五十音の一つ一つの原義を探求した成果ということになります(出版社は六藝書房でした)。
今ぱらぱらとめくってみますと、なるほどと思われる部分よりも牽強付会の部分のほうが多いような印象ですが、愚生はその一筋の探求そのものに感動した覚えがありますし、今でもそれを応援したい気持ちでおります。それは恐らく「ことだま」に耳を澄ましその声を聴きとろうとする切なる努力であったでありましょうし、作品こそ書かなかったかもしれませんが、彼はやはり一人の詩人であったにちがいありません。
適切な例かどうか怪しいのですが、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ / 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」などの詩を読んだりしますと、言葉の「原形質」に触れようとするのが詩人だと言いたいような気がしてまいります。方言のルーツは言霊のルーツ…、そして私などほんのかすかに想像しえても確証しえないもの…、すべて大いなる才知を頼りにするばかりの他力本願で、その状態を越えることができません。
この人の略歴によりますと、「岡田信一郎建築事務所に勤務」とありました。学兄のように、科学的な分野の人々がしばしば深く「字を識る」者になるという事実を思い起こした次第です。
学者の間では殆ど評価されていないかも知れないこの希少(貴重)な本を、その気になったときに再読したいと思っています。
→さらに新しい情報ありがとうございます。 2007年3月25日。
ご指摘の『かま』については、私も今後の課題としたいと思っております。
千葉方言は、茨城方言に多く似た言葉がありますが、発音は似ても似つきません。また、一般には茨城方言よりはるかに上品な言葉だと思います。
一方方言の比較文化論は、例えば関西方言と東北方言に類似点があるのは私も感じています。関西では構わないを『かまへん』と言い、津軽では『そしたら』を『へば』と言います。いずれもサ行音が何故かは行音に変化しています。そのほかにも様々な共通点があり、江戸時代の海運すなわち北前舟がもたらしたものだろうと誰もが考えますが、そこまで手を伸ばすと限りが無いので、あまり手を広めないようにしています。
また、多く、あるいは全ての方言集が、名詞、形容詞、動詞、副詞が中心で、助詞や助動詞すなわち文法に関わる情報が不足していることを今まで感じて来ました。その意味で、『昔の茨城弁集』では、いままで誰も試みなかったことに挑戦しています。不完全ながら動詞の活用形も紹介しています。まだまだ不十分ですが、是非ご支援下さい。
余談ですが、俚言集覧によると、江戸時代には、『〜(して)くれ』を『〜(して)くれろ』と言っていたことが記載されています。昭和30年代に茨城で使っていた言葉は江戸言葉だったことになります。言い過ぎかもしれませんが、江戸時代には、地域によって様々な活用形があったのが、明治の施策によって単語だけでなく文法まで統一されたのではないかと推測されます。
言霊に似た言葉に、ヨーロッパのローマ時代の言葉で『ゲニウスロキ』があります。地霊の意味ですが、この地霊をどう読むかが建築設計の鉤になる学生時代教えられました。言霊とは昔から言い尽くされた言葉ですが、種々雑多ある方言のひとつひとつに、先人達が込めた思いを捨て去ることなく、今後も活動を続けたいと思っています。
広辞苑の第1版の「@湯。A水。おぶ。もんも。うも。ちょちょ。」の情報ありがとうございました。早速参考にさせていただきます。
ところで、昨年末から、八丈方言に興味を持ち始め、しばらく調べていました。この3月、不完全ながら八丈方言との関係http://www1.tmtv.ne.jp/~kadoya-sogo/ibaraki23-hatijyou.htmlを公開しました。千葉方言と共通しているのは『何』を『あに』と言うことですが、これはご存知の古語の『豈』に由来する言葉です。
→投稿 2007年4月25日。
かつて、たったの一晩泊まりだったと思いますが、津軽をたずねた時、「へば」を耳にしていたかもしれません。五所川原で洒落た喫茶店に入ったとき―その店は実にモダンな洒落た店で、二階建ての中に古めかしい楽器やラジオなどが飾ってあり、いかにも喫茶店らしいところでした―2〜3人のウェイトレスが、給仕するとき以外はお国訛り丸出しで喋っていました。それは私などには有り難いことでしたが、たぶん「記念に」とか「お土産代わりに」という観光地の意図的なものだったのかも知れません。残念ながら、もうすべて忘却の淵に沈んでしまいました。今思い出すのは、太宰治の短篇のタイトル「ダスゲマイネ」という(また)気取ったこと一つだけです…。(ご存知の通り、Das Gemeineと「だすげ、まいね。」=「それだから、まずいのだ」を重ねたもののようですね。){店の名前、調べてみましたら「珈琲詩人」(大町店)でした。}(「まいね」は下総の「まぐね」に対応していると考えられるのですが…。)Genius loci:英語では“the spirit of place”と(も)なるようです―われわれの「地霊」と同じように訳しているようですね。この地霊と言霊とのつながりは、まことに意味深いと思います:折々に思い出したいことです。
*忘れないうちに…:『印旛郡方言訛語』の件ですが、愚生寡聞にして存じません:一応サイトは訪ねたのですが、やはり「その一」しか見当たりませんでした―続編が出ていないのは実に残念なことです。
検索して知ったこととして、「ひょうびん」というカワセミの異称が私の生地・旧印旛郡富里村にあると記載されていましたが、遺憾ながらどうも使った覚えがありません(例によって忘れてしまったのかも知れませんが)。(「ひょうびん」では「アカショウビン」が愚生の一つ覚えであります。)
カワセミは、拙宅のある八千代市では毎年現れるはずですが、故郷の高野では殆ど見かけなくなっているにちがいありません:川と池が消滅してしまいましたから!霞ヶ浦ほとりの土浦では、まだ健在であろうと思います。
お伝えできるような新しい発見というべきものは無いような気がしますが、たまたま 『京都府のことば』(明治書院「日本のことばシリーズ」)を見ていたところ、
「俚諺」のところで「けんじゃん」(拳じゃん)というのに出会いまして、びっくりしました。あの「グ・チョキ・パ」の遊び・じゃんけんのことですが、確認のためネット検索を試みましたところ、まだ期待したサイトが見つからない次第です―1ページか2、3ページ目で出会ってもよさそうに思われたのですが。(検索の仕方がまずいのかも知れません。)(付記:明治書院のそのシリーズ、残念ながら愚生には読みづらく感じておりまして、未だ誰にも推薦しておりません…。)
次は話が飛びまして、「かがむ」、「こごむ」のことですが…。(いつも貴『昔の茨城弁集』に当たると問題解決になりますので、ちょっと当たって直ぐ忘れることにしております! そうしないと、メールが書けなくなります…。)愚生の記憶には後者「こごむ」が残っています。次に、「かがむ」は「屈む」ことで、主に人間の姿勢について、また比喩的に動植物についての形容であるわけですが、おぼろげな記憶では、柱はもちろん建物自体のように「真っ直ぐ」であるべきものが(多かれ少なかれ)傾いて/曲がっている(つまり、傾ぐ)場合に、「(ちいっとばかし)左っかさ“かがん”でっでねが?」とか言っていたような気がします。愚生のいわば牽強付会かもしれませんが…。ここでもネット検索をしましたところ、「かがむ」に「勾」の字があてられる例があるとするサイトに出会いまして(が、その出典には未だ当たっておりません)、なけなしの記憶もまんざらではないかなあとか思ったりしております。ですが、いま改めて「かがむ」を唱えてみますと、自信喪失になりそうです。
つづいて、方言自慢みたいなもので恐縮なのですが…。
『茨城方言民俗』では「寝違える」を「ねくじる」と言っていますが、愚生生地では(そのヴァリエーションの)「ねっくじく」で、これは意味とは裏腹に(?)笑いを誘うほどに威勢のいい響きとなっており面白いと思っております。
あっちへ飛びこっちへ飛びですが、茨城とまったく同じと思われる言い方の一つに「こったけちか(無い)」(「これだけしか」無い)があることを思い出しましたが、いかが思われますでしょうか。ただ、私の記憶は小中学校時代のものです―しかし、私のフィクションではないと信じます。
飛躍ついでをお詫びしますが、記憶から抜け落ちていたものに「そうしっど」がありました。ネット・サーフィンで山形県人のサイトに同一の言い回しを見つけまして、なるほど、これは関東以北のことばなのだなと思った次第ですが、土浦でも使われますでしょうか。(そのサイトでは清音の「そうしっと」もあり、異型の「そうしたば」もありました。)
次のような言い回しについては、愚生生地固有のものとか言うことが可能でしょうか。一つは「ありはしないよ」にあたる「あっしねよ」です。これはやや語勢の強いものですが、土浦でも使われますか。もう一つは「〜とくっがんな!」(〜とくるからね!):
例えば(私のでっちあげですが)「昔ん歌もおもしれえよなあ、“あそこの窓のカーテンがゆらりゆらりと揺れてます”とくっがんなあ!」といった具合に。これなどは、関東のどこでもありそうにも思われるのですが…。
この一例は今回霧島昇の「一杯のコーヒーから」を聴いてつくったものです。彼の出身地については無知でしたが今回歌を再聴して、東北ではないかという印象は、おおまかに当たっていました:彼の故郷は福島ですね。彼のこの歌で面白いのは、タイトルでは「コーヒー」とあるのに歌の中では「コーヒ」となるところです:実際、歌では伸ばし切れません。昨今、「コンピュータ」とか「エレベータ」とか外来語の語尾を伸ばさない傾向が連想されたのでした。霧島昇の歌は斬新に聞こえて余りあるものでした。(発表は昭和14年だそうですね! 「花摘む野辺に日は落ちて」のあの「誰か故郷を想わざる」は15年:愚生などは戦後そのリバイバルを聴いていたことになります。)
こうしたものは慣用表現の類に入ると思われますが、「ねじゃなんめー」というのも思い出されます。「ね(な)くちゃなんめー」の短縮形のはずで、用例としては「こっちもやんねじゃなんめー!」とか。「やっちゃねじゃ」も慣用的でした:「こっちから先んやっちゃねじゃ!」という風に。
「来るのか」の訛り「くっが」は方言とは言えないでしょうか。「もう来っが?」「まだ来(き)めー。」のようなやりとりは直ぐに記憶に甦ります。
地元のタクシーに乗って、話が老後の健康維持のことになったとき、「…まいんちウォーキングでもやりゃキマリイイから、…身体も弱んめー」とドライバーから聞かされまして、なるほど、キマリイイというのも方言に入りそうだなあなどと思ったのでした。(愚生は例の「きまりわりー」しか良く覚えておりません。)
長くなりますが、愚生「ながわずれー」(長患い)も、また「ゆすけおび」(子どもを背負うときの帯)も聞き覚えがあります。貴生地では、いかがでしょうか。 『茨城方言民俗』をのぞいていましたら、「おがみむし」(拝み虫=カマキリ)に出会いまして、英語でも確か…、と思い辞書を引くと、“praying mantis”とありました(mantisだけでカマキリですが)。(語源はギリシア語で何と「予言者、易者」!)
末筆ながら、お教えくださった貝原益軒の『日本釋名』を一度ページをめくってみました:見事な表現力、揺るぎない口調、まさに古典と思われました。その存在を教えてくださった学兄に感謝いたします。また、八丈方言関連の貴ウェブサイトにも期待いたしております。
→返答 2007年4月26日。
1.『へば』について
サ行音がハ行音に変わるのは、津軽言葉の代表ですが、実は関西にもあります。その不思議はやはり北前船の存在しかないと思われます。また、茨城では『様』をかつて『はん』と言いました。『なさる』を『なはる』とも言いました。かつて、NHKの連続ドラマで『おはなはん』がありましたが、私の祖母の名は『はな』でしばしば『おはなはん』と呼ばれていました。
津軽での○○様のご経験の中での『ダスゲマイネ』の情報有難うございます。
2.カワセミが霞ヶ浦で今見かけるかどうかは、残念ながら定かではありません。
3.ジャンケンに代わる言葉は、全国に随分あるようです。特に遊郭や京の舞妓の間では独特の言葉が発達したようです
4.『こごむ』について
『こごむ』は由緒ある言葉で、辞書にあります。かがんだ様を『こごみ』と言います。辞書には『クサソテツの別称、また、その若芽の山菜としての名称。』とあります。私の記憶では、祖母がシダ類のある種の幼葉を『こごみ』と言っていました。『草ソテツ』なのかどうかは解りませんが、山から取って来て食べたものです。『やまがらこごみとってきたど』と言っていました。
5.『ねっくじく』は、当サイトに掲載しています。関東圏特有の『寝くじく』の促音形です。
6.「こったけちか(無い)」は、独特ですね。現代語では『だけ』と言い、『しか』と言いますが、茨城でも『こったけちか』は使いました。どうやら清音化傾向の上代語の名残りのようです。上代では『水』を『みつ』と言っていたことが解っています。『背丈』は今でもそのままですが現代語の『それだけ』は『それ丈』と当てられます。茨城ではしばしば『それたけ』と言いました。
7.「そうしっど」について。
かつて、平安時代からあった『べ、べえ』は、東関東方言で『ぺ・ぺえ』に変化しました。その理由は促音化した動詞に『べ』がつくと、発音しにくいからだと思われます。英語では、促音形の後の濁音は今でも許容されますが、日本では、避けられてきたようです。
『する』は、かつて土浦では『しる』でした、サ行一段活用でした。『すると』を『しっど』という言い方は間違いなく土浦にもありました。古語をたどると『そうすれど』に当たると思われ、「そうしっど」はその流れと考えられます。ただし言いにくいので『そうしっと』に変化したと思います。『そうしたば』は古くは『さすれば』ですね。土浦では『そうせば、そうすば』等と言いました。
8.「あっしねよ」
意味は解りますが、土浦では使いませんでした。多くは『ありゃしねえ』でしたね。
9.「〜とくっがんな!」(〜とくるからね!)
ぴたり土浦方言と一致します。清音なら江戸言葉ではないでしょうか。今でも『〜とくっからさあ』などど言います。しかし、私の東京の親類の言葉を考えると『〜とくんかんねえ』の方がより江戸言葉に近いかも知れません。『が』は濁音ですね。茨城では今でも『嫌だからね』を『やだがんな』と言います。
10.『では』は、過去の歴史で『〜にては』が訛ったもので、現代語の『だ』に当たるといわれます。『じゃ』は本来古い言葉ですが、何故か標準語圏では今でも使われます。茨城では全て『だ』です。『そうじゃないでしょう』は、『そーだあんめ』と言います。
「ねじゃなんめー」とは、『〜(し)なければなるまい』の意味と思いますが、茨城では多く『〜ねげなんめ・〜ねげれなんめ』と言いました。これは、やはり、千葉の方千葉の方がより江戸の最新の言葉が伝わっていたからだと思います。『遣らなくちゃならない』をそのまま茨城弁にすれば、『やんなくちゃなんね・やんなっちゃなんね』とも言いました。茨城では何故か、古くから『じゃ』は避けられます。
「こっちもやんねじゃなんめー!」「やっちゃねじゃ」「こっちから先んやっちゃねじゃ!」は使いませんでした。ただし意味は良く解ります。『遣ってないでは=遣らなければ』の意味ですね。ただし、この場合の『じゃ』は明らかに『では』が変化したものです。茨城では『それでは駄目だ』を『そんでぃはだいだ』と言いました。この場合の『でぃ』は英語のdiの発音です。
11.「くっが」「もう来っが?」「まだ来(き)めー。」 まさに茨城方言と同じです。
12.「キマリイイ」 決まり良いも決まり悪いも昔は良く使いました。決まり良いとは、納まりが良く問題が無いことですね。悪い方は辞書に載せていましたが、良い方は欠けていました。
13.「ながわずれー」(長患い)、「ゆすけおび」(子どもを背負うときの帯)について
『長患い』は単に連母音変形したもので、江戸言葉の代表と思います。『ゆすけおび』は茨城では『ゆっつけ帯』です。『結い付け帯』が訛ったものでしょう。
14.「おがみむし」について
カマキリを「おがみむし」と言うのは、茨城や千葉に限ったことではありません。茨城のほか、近畿以東・関東以西に散在します。
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◆土浦弁 2006年8月15日(掲示板から転記)
・こえェ=草臥れた
・パー=メンコ
→返信 二つとも土浦で良く使われましたね。8月16日
二つとも土浦では良く使われました。『こえぇ』は『こうぇー・こえー』等かなで表現できます。『パー』は本茨城弁集では『ぱー』で記載しています。
ところで、今日は、お盆の帰省で土浦から戻ったところです。この帰省期間中に知ったことですが、40年前新語として使われていた『〜へ』(ぺに代わる言い方)は、最近あまり使われなくなったと聞きました。本当なのでしょうか?。
→再投稿 8月17日
んだへ?んだっぺ?も記憶しています。
→返信 『んだへ』と『んだっぺ』 8月17日。
しばらく掲示板を覗いていませんでした。返答遅れてすみません。ご記憶されておられるということは、今はあまり使っていないという事なのでしょうね。
このお盆に帰省しましたが、ネイティブな茨城弁を話す世代は、少なくとも60代以上のように思いました。
はー、こーなっちゃーど、年寄りしかきてえ出ぎねぐなっちったっぺな。あどは『IBAEC』みてな、試験でもおっぱじめっといーがも知んねー。『へ』ど『ぺ』が無なぐなっちったら、えばらぎべぃんもおありだな。おありではもどごなしんなっちまーがら、是非是非ふっかづしてーもんだないやー。
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◆ごじゃっぺ 2006年10月8日(掲示板から転記)
嫁にだした娘が最近親に対してごじゃっぺと言う言葉を言うのですがよく意味がわからなく言っているかと思いますが、どういう意味でしょうか。私は、馬鹿にしているまたは、見下げる意味と思うんですが娘は、だらしがないとか、なんでも構わないと言う意味でとって言っていると思うですが どういう意味でしょうか。
→返信 ごじゃっぺについて 10月9日 『茨城の方言』(遠藤蛮太郎)では、釈迦の従兄弟のダイバが主唱した『(提婆)五邪の法』を釈迦が認めなかったことから、それが転じたとしています。
しかし、私はもっと単純な語源ではないかと思っています。つまり、『雑魚』の意味だと思っているのです。江戸時代には倒語が流行りました。『ざこに』が『ごたに』になり『ごったに』になったことは否定できません。
その意味で、『ごた』が『ごっちゃ』になり、いい加減な人を『ごちゃっぺ』と言ってもおかしくはありません。 |
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◆「ばっけ」方言ご教授お願いの件 2006年10月26日
ご教授お願いしたいのですが、常陸太田市町屋町に黒磯バッケという急峻な崖があります。地元の人はこの崖を「ばっけ」と呼んでいるそうです。方言だという説があります。常陸太田市教育委員会発行の自然観察誌では「バッケ」を「抜景」と記述しておりますが、「瀑景」の誤りのような気がしております。台湾、中国では滝の景色を「瀑景」と呼んでいるそうです。漢詩、漢文の読みから口伝えに「ばっけ」呼ぶようになったように思われます。黒磯バッケの崖にも滝があるのですが、今は見えないようです。茨城県北部、近隣で急峻な崖を「ばっけ」と呼ぶ所は、この黒磯ばっけ以外にあるのでしょうか? 有れば、地名、および語源由来も分かりましたら教えてください。
→返信 バッケについて 2006年10月29日
バッケは広辞苑にも掲載されている言葉で、関東から東北にかけての方言とあります。別名ハケとも言います。茨城に限らず、様々なところで地名になっているところも多いようです。東京都内でも『はけ』『ばっけ』と呼ぶ地域ががあり、『はけ』は小金井市、『ばっけ』は、下落合に『ばっけが原』という地名があります。所沢の地名(通称)に『赤ばっけ』という場所があるそうです。
『ばっけ』の語源のもっとも有力な説は、アイヌ語の『頭・突端』の意味と言われています。
ちなみに、東北では『フキノトウ』を指す地域もあるようです。フキノトウの形状から、アイヌ語の『頭』との関係を思わせます。また、茨城県下では、土浦周辺でお化けを『ばっけ』と言います。
『がけ』は古くは『かけ』と言いました。『きりぎし』とも言います。語源説は、@懸けの意味、A削懸け(きりがけ)の意味、B欠け、C岸険の音、等があります。その意味で、標準語を中心に考えれば、『かけ』が『はけ』となり、さらに促音化して『ばっけ』となったと考えるのが自然のような気もします。茨城県下では旧猿島郡で『がっけ』と呼んだ記録があります。私もかすかな記憶があります。中には『がんげ』『がんけ』と言っていた人もいた記憶があります。濁音化・撥音化です。『岸険の音』説を思わせます。
一方、所沢では『ばっけ』は牡蠣の事で、茨城県北部では『ばっかい』と言います。化け物のような貝の意味なのか、『牡』は『ぼ・ぼう』と読み『蠣』は『かき』と読み、牡蠣は別名『スミノエガキ・イタボガキ』とも呼び、『ぼがき』(辞書不掲載)と呼んだものが訛ったのでしょうか。
以上までが、私の持っている情報です。よく考えると、訛りとは、標準語を軸にした場合に定義される言葉です。標準語ももともとは東京山の手の方言だったわけですから『はけ』や『ばっけ』は関東から東北にかけて古くからあった、由緒ある言葉とも言えると思います。極端に言えば、『はけ』『ばっけ』が崖の語源の可能性もあるということになります。牡蠣についても、語源は諸説ありますが、『はけ』と『かき』の音韻がかなり近いのは面白いと思います。
御指摘の「抜景」や「瀑景」は、なるほどと思わせる力強い説だと思います。
語源辞典を見るとわかりますが、日本語の語源は諸説あり、ひとつに特定できているものは殆どありません。一方、日本語は古代にさかのぼると清音のことが多いので、『はけ』が転じて、『ばっけ』になったと考えるのが自然かも知れません。そう考えると、『はけ』とは『迫』(せまること)ではないかとか、『掃く・刷く』が転じて土が掃い落とされた意味だとか、化けるの古形の『化く(はく)』(形をかえる。異形のものに変る。:徒然草にもある古い言葉)が転じて、山が崩れて形を変える意味だとか、あれこれ考えるのも楽しいと思います。
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◆『おせ』について 2006年11月3日(掲示板から転記)
・おせ=おかず(例えば弁当の‘おかず’)
「メシ、喰ったかアァ〜ョ」という言い回しがあったと記憶しています。
→返信 11月5日
『おせ』は、『御菜(おさい)』が訛ったものです。おさい→おせー→おせ と変化したのでしょう。
このサイトでは単音形を掲載していなかったので、早速加筆します。
「メシ、喰ったかアァ〜ョ」。目の前に光景が浮かぶ言い回しですね。昭和30年代の言葉にすれば、「飯食ったがー。あーよ。」ですね。
→再投稿 ウチンテ&ゴチャラッペ 11月6日
『おせ』が『御菜』の訛ったものとは知りませんでした。有り難う御座いました。あれから60数年を経て初めて源を知ることが出来ました。
土浦市で『家人』を『ウチンテ』と言っておりましたが、これは『家(ウチ)の手(テ)』でしょうか。もうひとつ『ゴチャラッペ』は茨城の方言でしょうか。
→返信 11月7日
『うちんて』は、『家の手』の可能性がありますが、『家の手合い』ではないかと思っています。理由は、古くは『うちんてぁー』のような発音をしていたからです。
また『ごちゃらっぺ』は、『ごじゃらっぺ』とも言います。さらに訛って『ごじゃらんべ』とも言います。サイトを確認したところ、落ちていました。情報有難うございました。尚、いずれも土浦弁と言うより茨城県下で広く使われている方言です。
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◆さがぼう等について 2006.12.3
はじめまして。○○と申します。サイトを拝見させていただきました。実家の祖母が茨城弁を話すので、懐かしく見させていただきました。
サイトに収載されていない言葉を祖母が使っておりました。さがぼう→つらら です。祖母は県北の人間なので、上大津の方言というそちらのサイトの趣旨にはあわないかもしれませんが、ないのも寂しかったので投稿させていただきました。ご迷惑でしたら申し訳ありません。
そちらのサイトを拝見させていただいて、か変の場合「か」が「き」になるなど、祖母が随分古い茨城弁を話していることを知りました。「きるちけ」も未だに使われております。「きるつけ」「くるつけ」と混じっているような感じですが…。
また、祖母と話していると、「来なくていい」が「きんともい」(「い」はひとつで間違いありません。すこし跳ね上がる感じの発音です)というふうに変化しているのですがこれは何形になるのでしょうか。
私も祖母と話すときは茨城弁を使うよう心がけています。怖いなどと言われることの多い茨城弁ですが、「〜してくんちょー」などとのんびり話している様はとても可愛いと思います。 サイト運営にはご苦労もおありだと思いますが、これからもデータを拡充して
いただけると嬉しいです。
乱文ここまで読んでくださりありがとうございました。
失礼いたします。
→返信 2006.12.15
『さがぼう』は、常陸太田市・西茨城郡の方言とされています。最近、一部情報を一新し、特定の言葉に対して、県下の方言の一覧が解るようにしました。それには、『さがぼー』が入っております。
「きるちけ」「きるつけ」「くるつけ」は、まさに当時の茨城弁です。
「来なくていい」が「きんともい」となるのも同様です。単音化と長音化は茨城弁では茶飯事です。ただし「きんともい」の場合、きつい言い回しのことがあります。活用は終止形です。「きん」は未然形です。
早速、データに付け加えさせていただきます。
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